【「なが~~い目で見た日本人の幸せ」って?・・入院徒然日記】
【与えられた時間に感謝して】中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を聴きながら・・・
地方議員の本懐【千葉市議会議員 給与年額1,300万円+360万円。新型コロナに乗じた給与泥棒!?
地方議員の本懐【千葉市議会議員 給与年額1,300万円+360万円。新型コロナに乗じた給与泥棒!?
千葉市議会は遊んでいるのか?情勢に甘んじていないで、こういう時こそ本来の議員の本懐に立ち返り、工夫を凝らした議会運営をしたらどうか!!
千葉市議会の日程を検索してみると、臨時会議も含め、平成2年の会議は3月16日までで、次の日程は6月8日からとなっている。新型コロナの一番のピーク期間は、ぐっすりとお休みしている格好だ。他の地方議会を調べれば、やはり新型コロナ対策と称して休会や延期をしているところも多いらしい。
行政が新型コロナ対策に追われ、議会の答弁にかける時間が惜しい、という情状酌量については一定の理解はできる。が、国会も含め、議会の形式については、以前から疑問がある。質問者が事前通告を行い、それによって行政が多大な時間をかけて整えた答弁書により答弁を行うという、形骸化したような運営に終始している。中には、質問や答弁がシナリオ化され、まるで学芸会のような(決して子どもたちが真剣に演じる学芸会を卑下しているわけではありません)茶番を演じているところもあるらしい。また議事録を見てみると、他愛ない世間話的な質問と杓子定規な答弁も目立つ。
こんな会議を運営するために我々は税金をかけて選挙を行い、血税から年間1,300万円もの給与を払っているのだ。(さらに政務活動費が年間360万円加算される)
新型コロナにより庶民生活は混乱を極めている。それも質の悪いことに、静寂なる大混乱なのだ。こんなときこそ、地方議員は本懐をよく反芻(はんすう)してほしいものだ。高級スーツにバッジをつけ、胸を張って闊歩し、あるいは、後援者に腰を低くして媚びへつらっている場合ではないだろう。
会議はこの時代、オンラインでもできる。なによりも、行政に時間をかけさせ決まりきった答弁を引き出すような質問をするのでななく、議員50人(必要であれば分科会にして)で其々の地元の声をもとにしたテーマを決め、ディスカッションしてもいいだろう(ぜひ、公開してほしいものだ)。その結果を、政策提言として行政の代表(首長)に届ければよい。
これはこんな時だからこその切なる願いと叫びだ!地方議員の本懐をよく考えてほしい!!
(画像はネット転載です)
【これはもう「日本文化」】たわし!日本が世界に誇るもの!!
【これはもう「日本文化」】
日本が世界に誇るもの「亀の子たわし」
連休に庭で家族でBBQ。その片付けに大活躍!
温故知新。新しさや容易さだけを追うのではなく、古き良き文化も大切にしたいものです。日本が、日本であるために。
恵まれた島国「日本」。しかし、文化を疎(おろそ)かにすると、やがて国境がなくなり、国がなくなり、ついには自分のこころのよりどころがなくなります。
日常では気付きにくいことですが、日本人の心は「日本文化」でできていますね~。これは、世代を超えた(というより、世代で受け継ぐからこそ)いのちの営みですね~。
今は・・・いや今こそ、「日本人であることの意味」をしっかり考えるときですね~(^^)
【自粛・・・】の一方で・・・
【自粛・・・】「自粛」のせいか、路上ごみが目に見えて少ない。替わりに、家庭ごみが増えているという。ニュースでは、高級食材の消費先が休業し、値が下がったため一般消費者へのネット通販が大幅に伸びているという。一方で、職を失い、今日の食事や寝る場所にも困窮している人たちも目立っているという。
妻と二人で九十九里海岸を歩いてみた。
田植えを終えたばかりの房総の田んぼに上る朝日を見て、目頭を熱くして手を合わせないではいられなかった。
「一体、私たちはどこに向かって歩いているのだろう・・・」
【母の日に亡き両親と子らを想って】「親孝行 したいときには・・・
【母の日に亡き両親と子らを想って】「親孝行 したいときには 親はなし」という。父は18年前、母は6年前に他界しているが、歳を重ねるにつれ、だから「親孝行」できない、とは思わなくなってきた。
子らが独立した未だに(いや益々)、「親」とはなんだろう、と考えるようになった。親も人間だから良きにつけ悪しきにつけ様々な姿を見せてもらい、教え育んでもらった。
今思うことは、「間違いないのは、この世に生を受けたのは親の存在があったればこそ」という紛れもない事実に気づく事こそが、親孝行なのだということ。
今が悪いのは親のせい、社会のせい、などと考えていては「いのち」に対して背くことだと思う。生まれてきた以上、万象すべては己に起因してのこと、と引き受けて生きてみたいものだ。子らの成長を見つめつつ、それを鏡として今やっと、わが身の不甲斐なさを責めている。最早、言葉では伝えようもない。
子らには、同じことに早く気付いてほしいと思う。
今日、両親の遺影に手を合わせ、改めて「親孝行をしなければならない」と深く思った。
そんな議員はイラナイ!!!
【スーパーの従業員への思いやり】
【スーパーの従業員への思いやり】レジ係や店員にコロナがらみの文句を言うお客が増えているという。今、試されるあなたの人間性。医療や物流・小売、福祉、行政関係、ライフライン関連等々に従事する方々。休みも取れず、身の危険も顧みず、働いてくれる方々がいるから私たちは暮らしていけるのだ。
そこに思いを寄せられないような身勝手・自己中心的人間は、普段の生活でも相当、家族や周囲に因縁があるはずだ。そしてその因縁は後に継がれる・・・。
今の自分の局面は、周囲に原因があるのではなく、総て(先祖を含めた)自分にある、と考えるのが「楽な生き方」だ。このウィルス問題でさえ然りだ。きっと何かの意味があると考えてしまう。他人や社会のせいにしないことだ。様々な因縁は、総て自分が引き受ければ、後世の世は良くなる。無宗教・無学の私が、いささか宗教じみてきた感があるが、「私は、地球の裏側で葉っぱが1枚散っても、自分に吹く風が変わる」と考えて生きている。まったく変わった人間だなぁ(^^)
画像は、フリーネット画像より転載。
【マスク、消毒用アルコール、ハンドソープが、ない~~~!!】
【マスク、消毒用アルコール、ハンドソープが、ない~~~!!】
いよいよ我が家は紙マスクも「つけおき洗い&再利用モード」になった。妻がマスクを縫ってくれた。内側にティッシュを畳んで入れて使う。
いろいろと不便だが、これからが「人間性が試されるとき」だ。「日本人である」ことを忘れないように生きたい!!
「アフターコロナ」の世が、人間も唯1つの種に過ぎず、すべての生き物が共存でき、地球環境に感謝できる世であることを切に願う。あまりにも「人間のご都合主義になりすぎた地球」が「人間のせいで滅びないように」・・・
今は「本当に大切なものを考えるとき」だ。
【皿を舐(な)めていた母】を見て育った私
【皿を舐(な)めていた母】小さいころから、よく母のその仕草を見ていた。ものごころついたころには、「行儀が悪い」とは感じていたが、それでもそんな母を「恥ずかしい」とは思わなかった。結婚し子どもをなし、居を構えた。父が先立ち、一人になった母を呼び7年暮らした。妻や孫の前でも、その仕草は変わらなかった。その後の2年は特養のお世話になった。息子である私の名前が分からなくなっても、その仕草だけは変わらなかった。
今では私が、皿についたアンコの残りを(さすがに舐めはしないが)「モッタイナイ、モッタイナイ」と笑いながらツツイている(^^)
【ご飯粒 お茶で洗って 流し込み ウマイウマイの 母に幸あれ】
【ペロペロと 皿を舐めては ニコニコと はにかむ母の 写真が笑う】
【あなた色に染めてぇ(^^)】
【あなた色に染めてぇ(^^)】結婚当時は塩辛いもの、味の濃いものが好きで、醤油などは「ドバドバ」とかけていた。一方、甘いもの(アンコもの)が苦手で、特に羊羹や最中、お汁粉などは大っ嫌いであった。
ところが「~あれから40年!~」ではないが、今では・・・妻が「味が薄いかしら・・・」という料理も「いや、濃いくらいだよ」。醤油は「減塩醤油」だ。極めつけは「お汁粉のプールで泳ぎたい」と言って憚らない妻にすっかり調教され、戴きものの団子を「こりゃウマイ!」と言いながらニコニコしながら妻と奪い合っている(^^)
結婚当時とは見違えるほど!(^^;)!「よく育った妻」を前に、私も見事に膨らんだお腹を摩りながら、「新型なんとかウィルス」と戦う日々である(^^)
【負けない!】
【負けない!】今日はよく晴れた。在宅ワークになってから始めた妻との2時間の散歩。負けるもんかっ!(^^)!マスク姿で、すれ違う知り合いたちと、気遣い合いながら、静かだが力強いエールの交換をする・・・元気が出る。負けない!
【桜からもらう元気!日本は、負けない!!】
【桜からもらう元気!日本は、負けない!!】
在宅ワークを余儀なくされている。妻と時間を決め、1日2時間の散歩を日課にしている。近くに流れる「支川都川」川岸の遊歩道がうってつけだ。ここには私がボランティアで所属するのNPOが約10年かけて植樹した約300本の桜が(今年はまだ)咲いている。昨年の台風や豪雨で倒れた桜が何十本もある。NPOではできる限り手当てしているが、追い付かない。
驚くのは、倒れたどの桜も、横になっても見事な花を咲かせていることだ。散歩しながらこれらの桜たちを見ていると、なんだかウィルスと戦っている今の日本と重なってしまう。
日本人は、歴史的にも逆境に強いのだ。世界中の問題だが、日本には日本なりの戦い方があるはずだ。今こそ、一人一人が、日本人であることに立ち返り、他人事でなく、政治や制度の問題にするのではなく我が問題として捉え、励まし合い、思いやり合いながら戦っていきたい。
この戦いに勝ち切れば、きっと何かが良い方向に変わる。この戦いは、慢心しきった人類や日本人への、大自然からの警鐘ではないだろうか・・・。
今、本当に大切なものを、しっかりと見直してみたい。
【野山のめぐみ】木の芽
【野山のめぐみ】子どもの頃からの感覚は衰えないものだ。父や母と春の野山に分け入っては「この辺にありそうだ」という野生の感覚!?が身に浸み込んでいる。我が故郷(新潟魚沼)ではアケビの新芽が「木の芽」として春を告げる山菜として喜ばれる。今は千葉だが、幸いにもアケビを目にする環境で暮らしている。秋にアケビがあるということは、春には「木の芽」である。
しかし残念なことに、この辺の木の芽は苦みが強くてうまくない。やはり「長く雪の下で耐え忍んだ木々だからこその味」なのだろうか。
10年以上の歳月をかけてこの川土手に自分たちで植えた桜並木。今、桜吹雪を浴び、故郷を想いながら我妻と散歩できるとは、まことに幸せなことである。ここに及べば、唯々、総てに「感謝」しかない。
【「楽な」「効率的な」子育て?】
【「楽な」「効率的な」子育て?】おばぁちゃんの「安寿と厨子王」・・・
ネット記事より。youtubeなどのネット動画に、一般人による絵本の読み聞かせが多数存在し、「メルカリ」などによる売り買い事例もあるという。そこには「多忙!」な現代の親たちの子育てを「善意で助けている風味」が漂っている・・・。
このネット記事では「著作権侵害」がテーマであった。それはその通りで、重大なことである、が、私は、もう一つ気になる。それは、「読み聞かせ」や「語り」の意味である。同じストーリーであれば、誰が読んでも同じだから、それは「他人のビデオ録画・録音」でも構わない、という考え方が現代人の根底にあるのではなかろうか。私の子どものころ「寝物語」は決まって『おばあちゃんの「安寿と厨子王」』であった。ばぁちゃんが語る悲しげな「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」のフレーズは、悲しい母子の別れの切なさがなぜか幼児の私の心の奥底に刻まれてしまった。
私と妻は、自分の子どもたちに「絵本の全集」を買い与え、時間を作っては膝にのせて、また、枕もとで、よく読み聞かせした。
ストーリーも大事であるが、親や家族の肉声で、体を寄せ合って、心を込めて語り聴かせることが何よりも大事だと思う。
【不要不急??】田起こし
【不要不急??】日曜日。外出の自粛要請が出る中、延期していた田んぼ作業(田起こし)を行った。ボランティア事業であり、農業が本業ではない。しかし、やらねば田植えができない。子供たちや保護者と調整し、最低人数(4人)での人力作業だった・・・きつかったぁ~~~(^^)
【親の気持ちがやっとわかる歳に・・・】
【心からのお願い】感謝を忘れない
【心からのお願い】
命を懸けて、買い物をする間もなく働いてくれる方々が食べるものも買えなかったら・・・この事態に働いていてくれる医療関係者や流通関係者、福祉施設関係者、行政関係者、食料や必需品の生産現場の方々・・・これらの方々は買い物をする間もなく働いていてくれています。どうか、こういう方々に思いを寄せられる人間であってほしいと思います。
もう既に、お店の食料品の品薄が聞こえてきています。「我先に」「自分だけは」と行動してしまうのは自己防衛本能としても仕方のないことだと思いますが、この事態に敢えてお願いしたい。【政府は食料品をはじめ生活必需品は通常の消費をしていれば全く心配ないと】明言しています。
自分以外の沢山の人たちにいきわたるように、どうか思いやりを持った行動をしてほしいと思います。
・・・【今、日本人の真価が問われています】
画像はフリーイラストです。