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【故郷の秋】

【故郷の秋】今年も親戚から柿が届きました。今年は新型コロナでお盆の帰省も自粛。そんな中、故郷の新聞とともに届く秋の便りが遠い故郷を想わせます。
妻とともに皮を剥き、軽く湯通し(熱湯消毒)し、物干しに吊るしました。
洗濯物の隣に干した柿を眺めて、しばし故郷の秋を想う自分でした。
感謝です。

【水を買う、ということ。捨てる、ということ】

【水を買う、ということ。捨てる、ということ】
子どものころ、生活に使う水はすべて、里山からの湧水が流れ込む裏の小池から家の水場に引き込んでいた。だから、タダ。時には小魚や蛙が紛れ込んできたもんだ(^^)
ところが今は・・・整備された水道はもちろん有料だが、それにも飽き足らず、コンビニなどで購入する時代だ。
そしてさらに、買っては捨てる時代に・・・。
子どものころ、野良仕事の休憩で、渇ききった喉に、近くの湧き水に口をつけてゴククゴクと流し込んだ水のウマカッタこと(^^)/

【もらう元気とあげる元気】

【もらう元気とあげる元気】
季節が移り、朝はかなり寒くなってきた。中学校のグランドのあちこちから「おはようございます!」が飛んでくる。毎朝グランドで子どもたちにもらう元気。そして、もらった元気を街ですれ違う方々におすそ分けだ。「おはようございます!いってらっしゃい!」
まさにGIVE&TAKEだな~。
「生きてるだけで、もうけモンだぁ~!(^^)/」

【ロッテ井上、感涙の楽天戦】

【ロッテ井上、感涙の楽天戦】
リーグ最下位の打率を誇る?千葉ロッテがなんと!?現在、ソフトバンクを追って2位。にわかファンの私たち夫婦は、先着8,000人が貰えるユニフォーム目当てにZOZOマリンスタジアムに。なんと、負け越している楽天相手に、井上の涙のサヨナラ2塁打!いや~~~ユニフォームはGetできたし、気分が晴れましたぁ~・・・残念ながら、その後2連敗ですが・・・(^^)/

【水を買う、ということ。捨てる、ということ】

【水を買う、ということ。捨てる、ということ】
子どものころ、生活に使う水はすべて、里山からの湧水が流れ込む裏の小池から家の水場に引き込んでいた。だから、タダ。時には小魚や蛙が紛れ込んできたもんだ(^^)
ところが今は・・・整備された水道はもちろん有料だが、それにも飽き足らず、コンビニなどで購入する時代だ。
そしてさらに、買っては捨てる時代に・・・。
子どものころ、野良仕事の休憩で、渇ききった喉に、近くの湧き水に口をつけてゴククゴクと流し込んだ水のウマカッタこと(^^)/

【生活保護を受けてたって・・・】

【生活保護を受けてたって・・・】オレ、働きたいんだ!!
「街のごみ拾いでもしてみたら?」って誘ったら、さっそく始めたらしい。
『「ご苦労様」「ありがとうございます」「自分にはできないことをしてくれる」って、街の人が声をかけてくれるんだ』

【秋に寄せて】母を偲んで

【秋に寄せて】母を偲んで
猛暑の夏も終わり、いつの間にか秋。
庭の金木犀も、終わりに近づいています。
命日は9月28日。母の生前、よく庭の手入れをしてくれました・・・金木犀が香るころになると、偲ばれます(^^)
<母の庭 木犀の香の 吹き渡り>
<木犀の 絨毯敷いて カネタタキ>

【なぜ「尊敬する人」は父親より母親なのか】結婚制度がなくなるかも?

【なぜ「尊敬する人」は父親より母親なのか】結婚制度がなくなり、男は精子提供だけ(それも怪しくなっていく)・・・という世の中が来る?
~ある雑誌より~
博報堂生活総合研究所は2017年、子ども(小4~中2)を対象とした大規模調査「子ども調査2017」を行った。—以下、記事の抜粋—
父親、母親それぞれについて「尊敬する人」「友達のような人」「どうでもいい人」のいずれかを選んでもらう問いの中で、1997年の段階では父親を「尊敬する」と答えた子どもが約6割と、母親(5割強)を上回っていました。
しかし2017年の調査では、父親の尊敬度が横ばいであるのに対し、母親を「尊敬する」と答えた子どもが7割近くにまで増え、父親を逆転。母親を「友達のような人」と答える子どもが減り、その分「尊敬する人」と答える子どもが増えた形で、母親は“親しみやすい人”というだけでなく“すごい人”だと思われるようになっているのです。—以上、記事の抜粋—
 私の思うところは多々あるが、この記事の趣旨(働く女性、イクメン)とは異なっている。
 なんにしろ、男女の区別があまり必要無くなってきていると感じる。現実に、人間の性別は男・女だけではなくなってきているらしい。
持(自)論であろうが、敗戦、他国との比較、ネットや科学の普及、独自文化の消失、人間の業・・・などが影響していると考えている。女が強くなった、昔の封建社会に戻すべき、などというつもりは毛頭ない。
 ボ~~っと生きていると、結婚制度がなくなり、男は種の保存・女性の本能達成のための道具となり、精子を提供するだけ、という時代が来るかもしれないなぁ~(;_;)
画像は、NHKのチコちゃん。

【相模原 やまゆり園事件】・・・生きる意味?

【相模原 やまゆり園事件】・・・生きる意味?
人は社会の役に立たなければ、生きている意味がない、だって!?
それでは、その「社会とは」いったいなんだ!?
この犯人(ネットより転載)もそうだが、「社会」とか「役に立つ」とかは、人間の、それもたった一人の「主観」でしかない。
社会とは、人間だけで成り立つものではないし、そもそも「人間社会」そのものが、十人十色の性格や趣味趣向だし、病気や障害を抱えた人もいる。
特定の数字がある一定以上でなければ生きている意味がない、と言っていることと等しいが、そんな考えは、人間の驕りとしか言いようがない。
人間の論理理屈が成り立たなければ「生きていけない」というほど生き物は単純ではないし、それ自体「人間」の自滅を招きかねないということだと思う。
人間についていえば「こころ」は「頭=理屈」ではない、ということなのだが・・・

【金木犀の香る季節】鋸山

【金木犀の香る季節】どこに行っても金木犀が香る季節。秋晴れの下、妻と鋸山に行って来ました。ちょうど東京湾の湾口のあたり。残念ながら富士山は望めませんでしたが、眼前には三浦半島、城ヶ島あたりまで見通せました。やっぱ、高いところからの眺めは最高ですね~。
・・・また季節が移ろうとしています(^^)

【ボーっと生きてんじゃねーよ!】

【ボーっと生きてんじゃねーよ!】
3,508日目。私がごみを拾いながら「おはようございます(^^)」と声をかけるが「・・・」
・・・なんと挨拶を返してくれる大人の少ないことか・・・。
こういう大人に限って「今どきの子どもはアイサツもできない!学校は何を教えているんだ!」な~~んて言ってる・・・
子どもは、大人の背中を見てる。大人が直らなければ、それを見て大人になる子どもだって・・・世の中、良くなる筈、ないよなぁ・・・
挨拶は「自分はここにに生きています!」と言うのと同じなんだけどなぁ。誰かさんの陰に隠れて陰口ばかり言っていないで、しっかりと、まず自分を見つめ、自分の背中を磨き、生きていることを堂々と主張して欲しいなぁ。せっかく生まれてきたのに、親に申し訳ないなぁ・・・悲しいなぁ・・・(;_;)
NHK「チコちゃん」、ネットより転載。

【ポイ捨てプラスチック、アレチウリとの闘い】

【ポイ捨てプラスチック、アレチウリとの闘い】
ペットボトル=「わ~~~い!やっとアレチウリのツルから解放されて、海まで流れていけるぞ~~(^^)」
アレチウリ=「くそ~~!逃したか!でも、どうせまた人間が橋の上から捨てるからいいもんね~~(^^)」
「それに切られたって、またすぐに伸びるもんね~!ポイ捨てペットボトル君、あと2.5kmくらいで海だから、ガンバッテね~(^^)/」
・・・後期の川土手の草刈りが始まりました~・・・そろそろ体力的にキツイな~~(^^);

ladies and gentlemen 【(私の)理解を超えた社会】

ladies and gentlemen
【(私の)理解を超えた社会】
10月1日、日本航空の機内アナウンスなどから「ladies and gentlemen」がなくなった、という。男女を前提とした言葉遣いに違和感がある、ということらしい。単なる時代の変化なのだろう。ただ、にわかに理解できないだけだ。
この「ladies and gentlemen」に対する措置については異論はない。もともと全員に呼びかけるのに「紳士・淑女の皆様」などと呼びかけるのは「日本の風習ではない」からだ。だから単に「皆様」と訳す場合も多い。
私が理解できないのは人間が「男」と「女」の2種類ではなくなった、ということ。LGBTと呼ばれ、病気ではない、という。
別に差別しろ、病気にしろ、などと主張するつもりは毛頭ない。だがこれを仮に「個人の性格・嗜好」とするのであれば、心配なこともある。
こじつけ、屁理屈、結局は差別、と言われそうだが、誤解を恐れずに(暴言?)あえて心配を言いたい。
一番極端な例をあげるならば、(現在は「病気」あるいは「犯罪」だが)窃盗、殺人、暴行、強姦などもそのうち「共存」対象になるのだろうか?
・・・このニュースで、自分でも嫌気のするようなパラドックス?に落ち込んでしまった・・・(;_;)
※画像はネット転載です。

【右翼でも左翼でもない、無思想・無宗教の私でも・・・】日本の「神」は「God」ではない。

【右翼でも左翼でもない、無思想・無宗教の私でも・・・】日本の「神」は「God」ではない。
 日本の「神」は世界の他の神と違い、宗教というよりも「大自然」と考えた方が理解できます。それは、古くからの日本文化の多くは「大自然を崇め畏れる」という本質の上にあることからもわかります。
 日本の皇室<天皇家>は世界最長の歴史を誇る王室だということを、私が意識したのは最近のことです。
今上天皇(令和天皇)は第126代(宮内庁HPより)で、世界最長となります。世界一「特異な国」といってもいいでしょう。
私たち日本人は、世界でも例のない「一君万民」(一人の君主があり、人々はみな平等であるという主義主張)の歴史を持った国なのです。
 それは、民主主義国家となった今でも、変わりのないことです。しかし、多くの日本人は天皇陛下が折りに触れ、国民のために神に祈っていることや、皇室の最重要の役割が国家、国民の安寧を願う祭祀であることを知らないのです。
皇室による国民の幸せのための祈りは殆んど報じられませんが、これこそが、皇室が常に自らの存在意義としてきた重要な仕事なのです。
 神の国「日本」。他国の宗教の「神=God」と違い、日本の「神」は様々な文化の中に溶け込み、日本人の心(精神)のよりどころとなってきました。そしてそれが「日本人の特異な強さ」となって世界を驚かせてきたのです。それは明治・大正時代までは揺るぎないものでした。
 ところが昭和を迎え、太平洋戦争に負け、列強国は「理解できない危険な日本思想」として「日本(=日本人)を改造」し自分たちの様にしようと、日本文化の弱体化を謀り日本の政策に口を挟み続けてきました。
 日本人から、日本人らしさを奪う・・・昨今の日本を見ていると、残念ながら着々とその企ては実を結んでいます。
古くからの礼節やしきたり、風習、伝統文化、日本精神は「近代化・合理化」という「理屈と数字」に流され、消滅しつつあります。人々は「便利で楽ちん」という生き方に溺れ、「自分の事」だけを考えて生きればよい社会になりつつあるのです。
 日本の首相が、戦没した英霊を祀る靖国神社を参拝すると、中国・韓国をはじめ同盟国のアメリカまでもが非難してくる・・・また、それに負けて参拝を見送る日本の政治家たち。
国の礎を築いた英霊に国の首相が不戦の誓いと共に首を垂れることが、他に憚られる恥ずかしいことなのでしょうか?
 今こそ、敗戦し平和の意味を理解した今だからこそ、「日本人よ、日本人たれ」と叫びたい。
国境はあっていい。そして日本らしさを守ることこそが、最大の国境自衛だと考えるのです。
以下は文化財指定された特攻戦没者の手記を転載したものです。
<特攻隊員 和田照次大尉遺書 昭和20年6月6日>
お父さん お母さん お元気ですか。
今日私は特別攻撃隊員として出撃致します。
・・・中略・・・
昨年の七月以降遂にお目にかゝる機会はありませんでした。
然しあの時 夏の清々しい夕べ 明るい燈の下で皆様と楽しくお話した時の事はいつも忘れませんでした
私が居なくなってもみんな元気で お父さんは外でお働きになる お母さんは内の仕事をおやりになる
けさ江やふき江 ともえはすこやかに大きくなって 幸福な家庭を持つ様になる
そして皆が明るく楽しく扶けあって美しい生活を営む
私はそれを希(こいねが)い それを析って居ります
出撃前で時間がありません
私の心は如何にしてもこの大業を完遂する事とみな様の御元気であるを願ふ事です
では 御機嫌よう さようなら 煕次
皆様へ 六月六日
<昭和20年6月6日 戦死>
※画像はネットより転載

【「こころに種をまく」ということ】

【「こころに種をまく」ということ】
今年結婚した娘と、13年前(小学6年生)に川土手に名札を付けて植えた桜の木に行ってみた。一緒に川のごみ拾いなどもしたものだ。娘より小さかった桜は、娘の背丈の2倍以上に育っていた。
さて、こころにまいた種は、どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのやら(^^)

 

18年目、3,503日目のごみ拾い 【自然に還る】

18年目、3,503日目のごみ拾い
【自然に還る】
 G君がアリさんたちにより消化され、土に還ろうとしていた。K君も、S君も、D君も、木の葉も、命を全うすれば土に還り次の命を育む。
 人間はどうだろうか。自分たちの家(=地球)を自分たちで壊し、自分たちの命を支えている仲間(ほかの生き物)さえ攻撃しているのは、人間だけだ・・・。
 人間たちは皆、自分の事だけで精いっぱいらしい。しかし、今自分たちがしていることは、紛れもなく「自分の命に係わる事」なのだが・・・
 18年、3,500回を超えた私の毎日のごみ拾いは、ごみを減らしているわけではなく「移動」しているだけだ。しかし、正しく処理されなければ、川を流れて、海に蓄積されていく。
 私は、ボランティアやきれいごと、偽善でごみ拾いをしているわけではない。自分と自分の子どもたちのため、自己中心的に考えて、自分勝手にやっているだけ。こんなに自己中な奴はいないのです。
 3カ月前に大腸がんを20cmほど切除した私が、あと何年生きるか分からないが、命が消えるその日まで、街のごみを拾い、街の人々に声をかけながら歩いていられたら、幸せだなあ(^^)/
↑ごみ拾い17年記録動画

【最後のお弁当・・・妻と絶景を見たいものだ】

【最後のお弁当・・・妻と絶景を見たいものだ】今日と明日で、妻が毎朝作ってきたお弁当作りも終わりである。明後日、次男は新居に移り結婚生活を始める。
両親をはじめ、沢山の方々に支えられて育った私たち二人が夫婦になり、一人増え、二人増え、三人増え・・・あれから三十数年。お互いの両親を見送り、沢山の人々と出会い、別れた。今年、一人出て、二人出て・・・。だんだんと元に戻ろうとしている。
そしてやがて、一人になり、ゼロになる。
気が付けば、先よりも、歩いてきた道の方が長くなってしまった。山登りで云えば(気づかないうちに頂上を超え=山頂からの絶景や、下界を見下ろした覚えがない)下り坂に入っていることになる。だが、決して登ってきた道を戻るわけではない。
さて、どの道を下ろうか・・・決めるのは、自分だ。
これからは、振り返らずとも、絶景を見ながら下れる筈なのだ!!(^^)

【生活保護受給者。金と社会】

【生活保護受給者。金と社会】
73歳、山形県出身だ。一人娘は横浜辺りで結婚しているはずだが行方知れず、体を壊して働けなくなって生活保護を受けている。
同様の境遇の人たちが身を寄せるアパート(寮として一般企業が経営。受給者は受給額のうち一定額を寮費として払う)で暮らしている。個室があり、3食が提供される。
数カ月前に声をかけてから、よく話を聴く間柄になった。
1.コロナ対策で支給された10万円を寮で盗まれた。
2.畑を耕作しているが、やめろと言われた。
3.作った野菜を町の人にあげ、礼品をもらったら怒られた。
4.畑作りや掃除など、真面目にやっているといじめられる。
5.「働きたい」というと「余計なことをするな」といじめられる。
6.食ってばかりいて、他人の弁当まで食ってしまう奴がいる。
「寮を出て働きたい。畑仕事が好きで、体を動かしていたい。草刈りでもなんでもいい・・・。働かなくてもお金をもらって、寝る場所と食事がある。みんな、動けるのに働こうとしないで、人の足を引っ張る。自分は一人ぼっちで浮いている。こんなところにいたら、ダメになってしまう・・・」
 彼の育てたほうれん草をいただいてお浸しにして食べたが・・・それはそれはおいしかった。
 私は、行政と連絡を取り、面談をしてもらった。盗難については一緒に警察にも行き、事情を聞いてもらった。
今は「働き口を紹介して欲しい。ここを出て、自立したい」という彼の願いを、なんとか実現しようと思案している。
私は彼に、冬場に新潟から東京に出稼ぎをしていた亡き父の姿をダブらせてしまうことがある。一歩間違えば、父もこうなっていたかもしれない・・・。一方で、働く意欲のある人間を生かせない社会システムと、楽して生きることに浸り流されてしまう人間の業に失望を抑えられなかった。
 私たち日本という国の暮らしは、こういったこと(様々な行政給付など)から、意味のない大型公共投資、一部の人間の利権争い、本当に必要な福祉、教育、公共投資、社会保障まで、国民のレベルに頭打ちされた中でバランスがとられているのだ。
 政治や社会に対して、傍観者となり、評論家となり、批判者となる前に、足元を見つめ、できることから実践してみたい。

【お墓。「仕合せ」と「幸せ」】

【お墓。「仕合せ」と「幸せ」】
 お彼岸に妻の実家の墓参りに行ってきた。義兄がお参りした後で、きれいに掃除されていた。
 ふと近くにある雑木が茂った一角が目に留まった。行って雑木の中を覗き込んでみると、墓石が見えるが、雑木の枝や雑草が邪魔で刻銘などは読み取れない。
 我が家の墓は故郷の新潟にあり、まだ管理できているつもりだが、それでも私が健在である間の事。子どもたちが面倒を見てくれる保証はない。
 考えてみた。いったいお墓とはなんであろうか・・・。もちろん、死者を荼毘に付して埋葬するところ、であるが、そのように機械的に捉えてしまうと元も子もない。
 お墓を参る意味を考えてみた。私の考えでは、それは自分自身の命と人生を見つめる場所。その人生が幸福であれ、不幸であれ、その源となった先祖の遺骨(魂)が眠る場所。
 不幸であればあるほど、墓参りなどしたくないかもしれない。あるいは、存在すら忘れてしまうかもしれない。墓石の前で、恨み辛みを呟くかもしれない。「生まれてこなければよかった・・・」と涙することもあるかもしれない。
 私は幸いにも、他を恨むこともなく、妻や子どもたち、周囲の人々に支えられて生き、こうやって墓前で祖先に近況報告と感謝を伝えることができる。
 「お墓」を守っていくということは、自分自身を見つめることであり、生きていられることの感謝を伝える場所を後世に繋げていく、ということだと思う。
 そして、生きていられることに感謝するための第一歩は、「他のせいにせず、ありのままを背負って生きる」ことだと思う。
 親を含む前世代からの因縁(生い立ち、育ち、性分)を繰り返して繋げている一族をたまに見る。まるで親のコピーのようなことを繰り返して生きることが、幸せなのかどうか・・・。
善悪のことではない。生物学的な遺伝もあるだろうが、既製品・規格品のような人生ではなく、他の責めにせず自分の責任で、自分で作った人生を全うしたい。「仕合せ」を「幸せ」と考えたいものだ。
 他を恨んで生きるような人生は、悲しいではないか・・・。
我が家系の墓が、この先荒れて朽ち果てるのかどうか、私の今の生き方(因縁)がどう伝わるのかは、子どもたちではなく、孫、さらにその先で分かる。遠く天上から眺めて反省するしかない(^^)/