【2,389日目のつぶやき】割れ窓理論

・・せめて、子ども達の通学路だけは・・。
近所の自動販売機に設置された空き容器用のごみ箱。昨日は何でもなかったこのごみ箱が、今日はご覧の通り、家庭ごみで溢れていた。もちろんマナーの問題であるが、これを放置しておくと、やがてごみ箱が溢れ、さらにその周囲がごみだらけになり、ついには、そこに住む人間の心が荒み、犯罪が増え、町全体が荒廃して行く、という理論がある。(元の理論は、空き家の1枚の割れ窓がスタートです)人間の心理として、そういうものらしい。眉をひそめて眺めるのか、なにか行動するのか。決してゼロにはならないものだが、割れ窓が広がるかどうかは、一人一人の意識と、わずかな勇気の問題と考えています。今日も、中学校の前の通学路には空き缶が捨てられていました・・。その傍らには、季節はずれに咲いた錦糸梅の花。日曜の朝、たった一輪の花に、救われるものがありました。

【ごみ拾いを自由研究したジュン君がキャップ回収に立ち上がってくれました!】

【夏休みに一緒にごみ拾いをし、それを自由研究にしたジュン君が、キャップ回収に立ち上がってくれました!】
まだ自由研究の成果は見ていませんが、きっと、ノーベル賞もんができていると思います(^^)/
本日、ジュン君の近くのゴミ集積所にジュン君・親子とペットボトルキャップ袋を設置しました。
「一杯になったら、近くの文具屋さんの店先か、私の家に持ってくるんだよ~~」
小さな、でも私にとっては最強の同志の誕生です。感謝、感謝・・元気をいただきました。
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【焼きソバってラーメンで作るのかと・・お笑いを一席】

2,388日(千葉駅59日)目のつぶやき。
お恥ずかしい話だが、私がまだ小学生の頃だから50年近く前のことである。姉が不思議な食べ物を作ってくれた。なにやらフライパンで汁のないラーメンのようなものを作っているのだが、出来上がってみると、これが・・・(*^_^*)・・・マ!イ!ウ~~~!なのだ。今では当たり前の「ソース焼きそば」なのだが、初めて食べる私には、もう・・絶句!!・・世の中にこんなうまいものが、バナナの他にあったなんて!!
これからがオチなのだが、それからは夢にまで見る始末(*^_^*);。そしてついに姉も誰もいないある日、少年は行動に移してしまったのです。少年はおもむろに大好物の「ピヨピヨラーメン」だったか「トノサマラーメン」(昔は確かに存在していました。リアルに・・)だったかを袋から取り出し、フライパンに1cmほどの水を張り沸騰させて、麺を焼き(茹で?)最後に付属のラーメンスープをまんべんなく麺にからめて・・・やった~~~できたぞ!!もうその時の達成感といったら、天にも昇る気分だったのです。これで、オレも一人前だ~~(^^)/・・・ただひとつ・・どうも、あのときの「香り」と違うよなぁ・・・。まあいいやぁ。天真爛漫な少年は早速「いっただっきまぁ~~す」・・。・・・。・・・・。その夜、私が家族の中でどのような扱いを受けたかは想像にお任せします・・・。あの時、今の私が出来上がったような気がしてならないのです。はい、東京オリンピックが終わってしばらくした、新潟のとある寒村での、バナナの次に焼きそばが大好きな人間の誕生秘話でした~。お後がよろしいようで(^^)/
【追伸】今のカップ焼きそばは、お湯を入れて作るのだから、私の方が先駆者だったんだぁ・・・と本気で思っている、天真爛漫なオジサンでしたぁ(;_;)(;_;)
【追々伸】それにしても、世の中で2番目のご馳走を、グルメなこの時代には、人間が食べずにアリにやるんですねぇ・・(今朝の写真)

 

<雨が止めば傘はゴミ?>2,387日目のつぶやき

【「雑草という草はない。】どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのは いけない」
昭和天皇が侍従を諌めたという逸話である。これを引用して、私が関わる稲作仲間(先輩)が先日こんな話をしてくれた。「仮に蓮田(レンコンの田んぼ)に、稲が生えたとすれば、稲は雑草になる」
まったくその通りで、自分(人間)の目的に照らして必要のないものはすべて「雑草」ということになってしまう。これは、ゴミについてもそのまま当てはまる。自分(人間)にとって必要のないものは「ゴミ」なのである。野山の木々を伐採し、宅地を造成する。採れ過ぎた野菜を捨てる。飲みかけのペットボトル飲料を捨てる。口に合わない食べ物を捨てる。雨が止んだので、傘を捨てる。
自己中心的な人間は、自分の狭い判断基準で要不要を判断してしまう。さらに、人類は「人間」を基準に要不要を判断してしまう。
「この草が、生き物にとって必要不可欠な酸素を作り出している・・」などと考えながら庭の「雑草」を引き抜き、田んぼに生えたクレソンや畔に生えたミントを引き抜く、自己中のどうしようもない人間が、ここにいる。

【所蔵してある原風景の画像に気付くのはいつ?】

2,386日目のつぶやき・・・今日拾ったもの・・・
今日は何をして遊ぼうか?なんて考えで頭が一杯だった毎日の通学路。そこに何の花が咲いていようが、誰とすれ違おうが、意に介していなかった。ところが、大人になってその通学路を歩いてみると驚く。ここに山桜が咲いていた、ここに水仙が、こぶしの花が、ここには桑の実が、この田んぼにはホタルが、ここのモミジは真っ赤だった、ここにはアケビが・・・この田んぼにはいつもあのお爺ちゃんが、この畑にはいつもあのお婆ちゃんが・・。子どもの心には無意識のうちに原風景が画像として焼き付いているのだ。自分たちをいつも見守り、育んでくれた大人たちの目が、豊かな自然が、確かに存在していたのだ。それに気づき、そしていまそれが自分の役割りになったことに気付くときが、誰でもある、筈、なのだが・・・

【蚊取り線香に手を合わせる?】

早く目覚めたので、気になっていた庭の草取りを1時間ほど。生前、田舎から呼び寄せた父母と暮らしたことがある我が家。父母はよく草取りや庭仕事をしてくれた。9月の蚊は、生き残りをかけて必死に攻撃してくるので、蚊取り線香を傍に置いて、黙々と早朝の草取りだ。やがて父や母の姿が走馬灯のように浮かび去る。思わず、蚊取り線香の煙に手を合わせる自分がいた。なぜか、しおれかかった1本の「ツユクサ」を抜くことができずに、残しておいた。
一首「父母(フボ))のいる 猫の額の 草むしり 蚊取線香(カトリセンコ)に 何故か手合せ」
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【校長先生、ありがとうございます】2,385日目のつぶやき

なんとか雨が降る前にごみ拾い&あいさつ活動を終えました。
最寄りのバス停が今日は酷かった。毎日使うバス停を自分達で汚す、あるいは見てみぬふりで放置する。
その様子を見て通学する子ども達。
13年前になりますが、私はじっとしていられませんでした。せめて、子ども達の通学路はゴミが無く、四季の花の咲く道であってほしい。たったそれだけのことなのですが・・
今日から学校が始まり。朝の街が元気になりました。
中学校の校長先生が歩道の掃除と、草取りをしてくれていました。
やはり、子ども達の姿が、町を活気づけますね。
そこで一句「夏が行き 街が目覚める 子らの声」