【大腸がんを患って】とりあえず、妻に感謝から(^^)

【大腸がんを患って】とりあえず、妻に感謝から(^^)
・・・手術後、高熱が3日ほど続いたが、そのときにず~~~っと聴いていたのが「自然への祈り(NHK「さわやか自然百景」エンディング・テーマ) / 杉本 竜一」であった。そして考えていたのは、故郷の事、父の事、母の事、祖先の事、家族の事・・・
今年5月20日、救急車で入院。当初は虫垂炎ということであったが、検査により「大腸がん+虫垂炎」と判明。6月15日、手術。6月30日、退院。大腸(上行結腸)がん。当初はステージ4に近いステージ3、「切除が妥当」という診断であった。5年生存率はステージ4では1~2割、ステージ3では7~8割だという。上行結腸と虫垂の切除手術を終え、組織検査によってステージ2であったことが判明。これだと5年生存率は8~9割。
宣告を受けたときは、案外「落ち着いた」ものであった。家族に伝えると、病院がどうとか、先生がどうとか、転院だとか様々な意見があったが、私は「このままお任せして成り行きに任せる」と決めた。こうなったのも全て自分の責任なのだ。心配してくれる家族には申し訳ないが、生き延びるよりも、生まれ変わりたい、と訳の分からないことを考えていた。
2か月経ってまだ生きているが、都合よく「生きたまま生まれ変わる」ということもあるか、と考えている。別に特定の宗教に取り憑かれたわけではない。5年で10人のうち1~2人が死ぬ、が、言い換えれば5人に4人以上は5年以上生きられるのだ。
とりあえず5年単位で生きることにした。今日明日かもしれないが、1年、3年、5年、生きてみたい。虫垂炎を併発したおかげで、その痛みで入院し、そのおかげで早めに「がん」が発覚し取り除くことができた。
無宗教の私だが、「もう少し生きてみろ」と天に言われた気がした。私は「生かされた」のだ。
自分のことで精いっぱい、せいぜい家族のことを考えるのがやっと。他人の事などとてもとても、ましてや社会のことなど・・・、いわんや「地球環境」のことなどとんでもない・・・。私は「一人で生きている」と思っていた。自分のことだけ考えればそれでいい、と考えていた・・・・。
たった40日の入院だが、私はなにか腹の底にストンと落ちた気がする。家族が、地域が、社会が、国が、地球がなければ「自分もない」のである。そして大事なことは、そこには「時間=歴史」も含まれる、ということ。「ほんの一時期を生かされているに過ぎない・・・次に繋げなければならない」。今までの狭い「自分の為」という考えが崩れ、「生かされている自分の役割=自分の為」と腹に据えた。
さ~て、これからとりあえず5年・・・「本当の自分の為」に生きてみることにしよう~っと(^^♪
それにしても朝から暑い。今日も私の「ただいま」に笑顔で「おかえりなさい」と応え、汗まみれになったシャツや下着を洗濯し、大好きな「千葉ロッテマリンズ」の勝敗に一喜一憂する元気な妻に感謝。
<18年目、3,471日目のごみ拾いを終えて>

 

【自分だけ良ければ・・・】

【自分だけ良ければ・・・】ポイ捨てをする人間だけではない。自分も含め、全人類への警鐘なのだが・・・悲しい現実である。さらに、コロナが追い打ちをかける。
行く先は見えているのだが・・・。
※画像は海底に沈むプラスチックごみ

【五十嵐さん、助けて!】

【五十嵐さん、助けて!】朝から灼熱の下、いつものようにごみを拾っていると向こうから見覚えのあるお爺ちゃん。よく立ち話をし、自家菜園の手づくり野菜をいただいたこともある顔見知りだ。この方、事情があって生活保護を受けている。私の顔を見るなり「五十嵐さん、助けてほしい」という。近くの民間業者が運営する同じような境遇の人たちが住む集合住宅に住んでいるのだが、どうやら「いじめ」に遭っているらしい。毎日コツコツと菜園で野菜を育てる姿は真面目そのもので、聞けば山形の生まれだという。以前から「俺は働きたいんだ」と言っていた。同じような境遇の人たちが住む環境で、どのような「いじめ」に遭っているのか察しはついたが、聞けば想像通りであった。放って置けなくなった私は、動いてみることにした。それにしても以前より身なりは汚れ、少し酒臭い気がする。「○○さん、協力はするが、今挫けて酒に溺れてはだめだ。気を強く持って、きちんと生活していてほしい。そうでないと、うまくいくものもダメになってしまうから。それだけは約束してくれ」・・・さて、またお節介癖が出てしまったが、これは治らないなぁ(^^)

【3勝7敗】

【3勝7敗】お盆明け。なんと、7時過ぎには30度を超していたと思われる千葉市。猛暑の上マスクをしているからか、すれ違う大人たちは「おはようございます」と声をけても、ほとんどが無言だ。家を出るときは元気100%なのだが、無言攻撃を繰り返されると、どんどんマイナスされていく。「おはようございます」⇒「・・・・・」・・・
今日は全敗か、と思っていると、自転車に乗った小学校高学年らしき女の子が「おはようございます」とさわやかな返事を返してくれた。一気に100%充電だ!
その後、用品店の店員さん、布団屋の息子さんに元気をもらい200%充電。
しかしその後は負けが込んで、3勝7敗といったところか。負けないぞ~~~・・・暑いけど・・・(^^♪

【お節介な私】

【お節介な私】デニーズの上り旗がいつも倒れている。土台となるタンク式スタンドに水が入っていないのだ。そのたびに起こすのが面倒になり、店長にお断りして水を入れて設置した。
お節介もここまでいけば、迷惑かもしれないなぁ・・・(^^);

戦後75年【誰かがやる。自分には関係ない!】

戦後75年【誰かがやる。自分には関係ない!】
コインランドリーを使い、取りに来ない洗濯物を入れておくゴンドラが一杯になったのだろう。数日前はランドリーの外に放置されていたが、今日はランドリーの裏手、数十メートル離れたごみステーション近くに放置されていた。仕方ないのでゴンドラを押してランドリーまで戻し、管理者に電話連絡して、片付けを依頼した。移動した者は、ゴンドラのままごみ回収してくれるとでも考えたのだろうか・・・
皆、自分の事でなければどうでもいいのだ。誰かがやる、政治がやる、自分には関係のないこと、なのだ・・・300万人を超える犠牲者を出して敗戦し、奇跡的に復興した日本は、75年経っていい国になったものだ・・・。
愛する者たちを遺し、戦火に散ったいのち・・・英霊たちに顔向けができないと考えるのは、一部の人間だけだろうか・・・

【空蝉(ウツセミ)】

【空蝉(ウツセミ)】連日37度を超える猛暑。灼熱の歩道に蝉が腹を見せている。拾い上げてみるとまだ息がある。せめて土に還れよ・・・と、近くの植え込みに放してやった。
ふと、土と人間の匂いのする故郷を捨てて都会に出た自分の姿が重なった。私も、この蝉と同じではなかろうか・・・(;_;)

【一人で生きているつもりの人々】

【一人で生きているつもりの人々】自治会・町内会。役が回ってくるので入らない、会費があるので入らない、関係ないので入らない・・・。自分の自宅がある町内会ですらそんな有様だ。ましてや、子どもが通う小学校の学区、さらに広く中学校の学区のことなど・・・。
自分の町内のごみステーションは誰が掃除しているか、道路のごみは誰が掃除しているか、街路灯の電気代は誰が払っているか、地域の共有場所(公園、空き地、道路)は誰が掃除しているのか、地域行事(祭り、運動会、敬老会、子ども会など)はだれが運営しているのか、子どもたちの通学路は誰が見守っているのか、一人暮らしの高齢者は誰が見守っているのか、道路や標識・街路灯の補修・設置依頼などは誰がしているのか・・・。
自分には関係ない、のではなく、考えようとしないだけの人たち。自分の子どもが安全に学校に通っていられるのは何故か、自分の親(高齢者など)が安心して暮らしていけるのは何故か。
自分のことで精いっぱい、は分かるが、せめて家族の自分の見えないところでの暮らしを思いやってほしい。そこにあるのは、間違いなく支え合いとやさしさの地域社会なのだ。税金で動く政治だけで社会ができていると考えるのは大きな間違いなのだが・・・(;_;)

【町の心遣い】

【町の心遣い】先日、ごみを拾って歩いていると、顔なじみの美容室の前で店主から声をかけられた。「暇だし、古着で雑巾を縫っているのよ。誰かもらってくれないかしら。」80歳を超えてなお現役の元気なご婦人だ。「きっと小学校が喜んで貰ってくれますよ」と答え、翌日、小学校の正門前で校長先生にお話しすると案の定、欲しい、とのこと。翌日、段ボール箱を預かり、学校に届けた。新型コロナで消毒に使うため、雑巾が足りないという。
今日通りかかると、教頭先生がお礼に来てくれた、という。「また雑巾ができたら、学校に持って行ってあげてください。」とお願いした。
ご主人を先に亡くしたが、話好きな元気な方だ。私の良き話し相手である。
感謝。

【自分の見えないところへ、ポイ!これでOK?】

【自分の見えないところへ、ポイ!これでOK?】
草むらから出てくるポイ捨てごみ。劇物の希硫酸を含む自動車用バッテリーやペットボトル。自分さえよければ、それでいい・・・。これが川に流れ、やがて海を汚染する。
川の水を飲み、川や海に棲む魚などを食べる人間。これらを捨てる人間は、「自分には関係ない」ということすら考えないんだろうなぁ(+_+)

【すしはうまい!けど、自分のことじゃなければ「関係ね~!」】・・かな?

【すしはうまい!・・・なんて言ってるけど、自分のことでなければ「関係ね~!」】・・・かな?
宮崎駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』は、人間の争いのために瘴気が漂う腐海の底に沈んだ地球が舞台。マスクをしないと、その空気を吸っただけで肺をやられてしまう・・・まるで、新型コロナに侵された今の地球のようだ。本当にこれは「天災」だろうか・・・
週末、都川の草刈。多くの人たちが散歩を楽しむ都川。私たちが川の掃除、鮎や生き物の保護、川土手の草刈り、桜の植樹、稲作、環境保全啓発活動などに取り組んで15年以上になった。だが、人間たちの意識は相変わらず「そんなの関係ね~!」のようだ。本当に、関係ないのだろうか・・・。そんなの政治が考えること、だろうか。人間たちのごみは、今日も川から海に流れ、海の生き物たちの脅威となる。海の生き物が絶滅する前に、魚たちが腹に溜めたプラスチックは人間たちの腹にも・・・。
金が総てだ、自分には関係ね~、めんどくさい、社会が悪い、政治が悪い、教育が悪い、あいつが悪い、それどころじゃね~・・・。
地球には人間しかいない、とでも考えているのだろうか・・・。

【躾や学校・本で学ぶもの=倫理・道徳=理屈=既製品。それを超えるもの=?】

【躾や学校・本で学ぶもの=倫理・道徳=理屈=既製品。それを超えるもの=?】
人に迷惑をかけない、思いやり、言葉遣い、ルール・マナー、社会常識、・・・これらは、親や学校・本やメディアなどの教育、自身の経験によって身につく理論・理屈であり、真似事であり、つまり固有の人間のものではない。いわば規格・既製の衣服のようなものだ。人間である以上、衣服を着、火を使い、言葉を話し、社会生活を送る。生を受け、義務教育を終え、親から離れ、社会人となり、様々な経験をしながら知識を重ね、生きることの糧とし、やがて死を迎える。これが大多数の人間の生き方のような気がする。
しかし、人間、もう一段ある、と最近考えている。既製品、規格品のまま、人生を終えることが人間の真の姿なのだろうか。人間には其々、倫理・道徳(=理屈)を超えて備わったものがあるのではないだろうか。学問・理屈・知識は学ぶものであり、これを備えて尚、その人固有のものがあるのではないだろうか。
当たり前のことだが、理屈は頭で考えるもの。これは後天的なもので人真似(まね)であり、規格品であり、自分自身ではない。本当の自分は「頭」ではなく「腹」の奥底に沈んでいるように感じる。
一通りの理屈を身に付けた今、さらなる知識を身に付けるのはもちろんだが、自分の「腹」に問いかけてみることを試してみたい。
無宗教の私だが、最近、「禅」の本を読み始めた。さて、どこまで「腹」に問いかけられるか・・・(^^)
それにしても、「理屈」さえ備わっていない人間たちのなんと多いことか(;_;)

 

結納なし、結婚する前に同棲する【男と女のかたち】

結納なし、結婚する前に同棲する【男と女のかたち】=我が子どもたち(今どきの若者)に見る結婚観=
「男女平等」「人種差別撤廃」という言葉は世界標準として、どこの国でも(程度の差はある。其々の本気度は別として・・・)お題目としては掲げているようだ。日本も例外ではないが、ここで誤解を恐れず、私見を表したい。
日本には、日本人としての「男と女のかたち」が、かつてはあった。日本の「男らしさ」「女らしさ」が間違いなく、あった。それは「日本人らしさ」と表裏一体のものであり、とりもなおさず、ここでは「日本の男と女・日本人らしさ」の亡失について語るものである。かつての「日本人らしさ」についての詳細はここでは語らないが、これからここで語ることの裏返しと考えていただければ、当たらずとも遠からず、であろう。
戦争が終わり現代では、科学と経済規模の程度が「国」の評価基準になっている。科学と経済の浸食に伴い「希薄」となっているのが「男らしさ・女らしさ」と「人間らしさ」の必要性であろう。男と女に至ってはその境目はもはや「不要」なのかもしれない。それと似たものが「国家」、「国と国の違い」とも言える。
今年、我が子三人のうち二人が「結婚」を表明した。家庭内の会話で浮き彫りとなったのが「結婚観」の世代間ギャップである。(もちろんこれは、私自身と私の親との間でもあったものだろう。)
今の若者は「結婚を失敗しないため」に籍を入れる前に一緒に住んでみる、と考えるらしい。如何にも理論的で、合理的、利己的、である。「結婚」という国の制度があり、「離婚」をすればそれなりの経歴がついてしまうことを恐れての事だろうか・・・。5回(人)でも10回(人)でも、同棲をしてみて、一番気に入ったのと「結婚」すればいい、ということらしい。まあ、5回、10回と「離婚」するよりいい、ということなのだろうか・・・。
私は我が子たちには、父として、家長としてこう言っている。「結婚であろうが同棲であろうが、相手や社会に対する責任がある。お試し的な気持ちでしてもらっては困る。昔からの文化や慣例・しきたり・人生観をそのまま踏襲しろとは言わない。しかし、簡略化してもいい、昔からの慣例・しきたりを学び、結婚の意味と責任をしっかり考えてほしい」
・・・どこまで、古臭い?父親の声が届いたかわからないが、今のところ二人ともそれなりに私の目に叶った進め方をしてくれている。
男と女の境目が曖昧になり、其々がお互いを必要としなくなっている。
結婚(同棲)しても、近代的・現代的な倫理・道徳や人生観がマッチしなければ別れればいい・・・そんな時代なのである。
現代の若者の結婚観は「家と家の婚儀・種(血)の保存」であった昔とは程遠く、「理論的、合理的、倫理的、利己的」に「選択」した先にある「性の違う友人」との個人的マッチングの過程、ということだろうか・・・
それにしても、ネットによると、今どきは70%以上が結納をしないらしい。これにはビックリであった。。。

【気づかないことは沢山ある】

【気づかないことは沢山ある】自分は気づかないが、誰かが見兼ねてしてくれている・・・そんなことが沢山ある。これは自分の問題ではなく、自分を育てた親の生き方、後ろ姿の影響である。そしてそれは、気づかず何もしなければ代々受け継がれていく「因縁」となる。自分の人生は、自分の子どもの「子育て」(=孫)まで見なければ、客観的に評価できない、と私が考える理由がそこにある。
人間が育つ中で学習する理屈は「真似事」であり、自分自身ではない。既製品・規格品で一生を終えるか、自分という人間を生きるか・・・。一番の近道は、損得に囚われずに、他人や社会と生きることができるようになること、なのだが、これが難しい・・・。

【なにも考えなければ・・・】

【なにも考えなければ・・・】街の交差点に何げなくある交通安全の黄色い横断旗。この旗はよく破損するが、誰か(私は知っている)が交換してくれる。横断旗入れの箱にはしょっちゅうゴミも捨てられる。さて、子どもたちの安全を願い手入れされているこの横断旗。なにも考えずごみ箱にするのか、「いったい誰が、何のために・・・」と考えてみるのか。今の日本は、たったこれだけのことも、できなくなってしまった・・・(;_;)

【歳を重ねて(^^)】

【歳を重ねて(^^)】2003年に街のごみ拾い&挨拶活動を始め、18年目。当時小学3年生だった娘も、結婚して姓が変わってしまった。当時娘がデザインした「タブ~」のTシャツが出てきたので着てみた。これは、私のミスでシッポがない!!(^^)/
18年・・・私の体形は、ほとんど変わっていない(^^);・・・さて、生かされた命を、どう使っていこうか?「生きてるだけで、もうけモン!」だな!

【自分の家の広さは?】

【自分の家の広さは?】小さな我が家には、子どもたちや妻の部屋はあるが自分の部屋はない。しかし、私の家は毎日の掃除さえ満足にできないくらい広い。今日もいつも通りゴミを拾い、倒れた自転車を起こし、草を取り、掃き掃除をした。行き交う人たちとは「おはようございます」のエール交換だ。これだけ広い家に住めば、きれいにしたくなるし、そこに住む人たちのことも心配になり、何か自分にできることをしたくなる、というものだ(^^)・・・今日も希望(HOPE)を捨てずに、変人イガラシは行くノダ(^^♪

【町内の雑木の伐採】

【町内の雑木の伐採】放っておくと伸び放題の雑木。通行に支障があると苦情も出る。梅雨の合間を見計らって、自治会で購入したチェーンソーが大活躍である(^^)

【ハチドリの一滴】

【ハチドリの一滴】床屋、八百屋、靴屋、エステサロン・・・地域の商店会仲間が集めてくれたペットボトルキャップを回収して回った。プラスチックごみの削減が叫ばれる中、小さなことかもしれないが、13年目の活動である。ワクチン寄付ではなく、ごみ削減(リサイクル)が目的で続けている。(^^)<m(__)m>

子どもたちの未来へつなぐ