結納なし、結婚する前に同棲する【男と女のかたち】=我が子どもたち(今どきの若者)に見る結婚観=
「男女平等」「人種差別撤廃」という言葉は世界標準として、どこの国でも(程度の差はある。其々の本気度は別として・・・)お題目としては掲げているようだ。日本も例外ではないが、ここで誤解を恐れず、私見を表したい。
日本には、日本人としての「男と女のかたち」が、かつてはあった。日本の「男らしさ」「女らしさ」が間違いなく、あった。それは「日本人らしさ」と表裏一体のものであり、とりもなおさず、ここでは「日本の男と女・日本人らしさ」の亡失について語るものである。かつての「日本人らしさ」についての詳細はここでは語らないが、これからここで語ることの裏返しと考えていただければ、当たらずとも遠からず、であろう。
戦争が終わり現代では、科学と経済規模の程度が「国」の評価基準になっている。科学と経済の浸食に伴い「希薄」となっているのが「男らしさ・女らしさ」と「人間らしさ」の必要性であろう。男と女に至ってはその境目はもはや「不要」なのかもしれない。それと似たものが「国家」、「国と国の違い」とも言える。
今年、我が子三人のうち二人が「結婚」を表明した。家庭内の会話で浮き彫りとなったのが「結婚観」の世代間ギャップである。(もちろんこれは、私自身と私の親との間でもあったものだろう。)
今の若者は「結婚を失敗しないため」に籍を入れる前に一緒に住んでみる、と考えるらしい。如何にも理論的で、合理的、利己的、である。「結婚」という国の制度があり、「離婚」をすればそれなりの経歴がついてしまうことを恐れての事だろうか・・・。5回(人)でも10回(人)でも、同棲をしてみて、一番気に入ったのと「結婚」すればいい、ということらしい。まあ、5回、10回と「離婚」するよりいい、ということなのだろうか・・・。
私は我が子たちには、父として、家長としてこう言っている。「結婚であろうが同棲であろうが、相手や社会に対する責任がある。お試し的な気持ちでしてもらっては困る。昔からの文化や慣例・しきたり・人生観をそのまま踏襲しろとは言わない。しかし、簡略化してもいい、昔からの慣例・しきたりを学び、結婚の意味と責任をしっかり考えてほしい」
・・・どこまで、古臭い?父親の声が届いたかわからないが、今のところ二人ともそれなりに私の目に叶った進め方をしてくれている。
男と女の境目が曖昧になり、其々がお互いを必要としなくなっている。
結婚(同棲)しても、近代的・現代的な倫理・道徳や人生観がマッチしなければ別れればいい・・・そんな時代なのである。
現代の若者の結婚観は「家と家の婚儀・種(血)の保存」であった昔とは程遠く、「理論的、合理的、倫理的、利己的」に「選択」した先にある「性の違う友人」との個人的マッチングの過程、ということだろうか・・・
それにしても、ネットによると、今どきは70%以上が結納をしないらしい。これにはビックリであった。。。
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【気づかないことは沢山ある】
【気づかないことは沢山ある】自分は気づかないが、誰かが見兼ねてしてくれている・・・そんなことが沢山ある。これは自分の問題ではなく、自分を育てた親の生き方、後ろ姿の影響である。そしてそれは、気づかず何もしなければ代々受け継がれていく「因縁」となる。自分の人生は、自分の子どもの「子育て」(=孫)まで見なければ、客観的に評価できない、と私が考える理由がそこにある。
人間が育つ中で学習する理屈は「真似事」であり、自分自身ではない。既製品・規格品で一生を終えるか、自分という人間を生きるか・・・。一番の近道は、損得に囚われずに、他人や社会と生きることができるようになること、なのだが、これが難しい・・・。
【なにも考えなければ・・・】
【なにも考えなければ・・・】街の交差点に何げなくある交通安全の黄色い横断旗。この旗はよく破損するが、誰か(私は知っている)が交換してくれる。横断旗入れの箱にはしょっちゅうゴミも捨てられる。さて、子どもたちの安全を願い手入れされているこの横断旗。なにも考えずごみ箱にするのか、「いったい誰が、何のために・・・」と考えてみるのか。今の日本は、たったこれだけのことも、できなくなってしまった・・・(;_;)
【歳を重ねて(^^)】
【歳を重ねて(^^)】2003年に街のごみ拾い&挨拶活動を始め、18年目。当時小学3年生だった娘も、結婚して姓が変わってしまった。当時娘がデザインした「タブ~」のTシャツが出てきたので着てみた。これは、私のミスでシッポがない!!(^^)/
18年・・・私の体形は、ほとんど変わっていない(^^);・・・さて、生かされた命を、どう使っていこうか?「生きてるだけで、もうけモン!」だな!
【自分の家の広さは?】
【自分の家の広さは?】小さな我が家には、子どもたちや妻の部屋はあるが自分の部屋はない。しかし、私の家は毎日の掃除さえ満足にできないくらい広い。今日もいつも通りゴミを拾い、倒れた自転車を起こし、草を取り、掃き掃除をした。行き交う人たちとは「おはようございます」のエール交換だ。これだけ広い家に住めば、きれいにしたくなるし、そこに住む人たちのことも心配になり、何か自分にできることをしたくなる、というものだ(^^)・・・今日も希望(HOPE)を捨てずに、変人イガラシは行くノダ(^^♪
【町内の雑木の伐採】
【町内の雑木の伐採】放っておくと伸び放題の雑木。通行に支障があると苦情も出る。梅雨の合間を見計らって、自治会で購入したチェーンソーが大活躍である(^^)
【ハチドリの一滴】
【ハチドリの一滴】床屋、八百屋、靴屋、エステサロン・・・地域の商店会仲間が集めてくれたペットボトルキャップを回収して回った。プラスチックごみの削減が叫ばれる中、小さなことかもしれないが、13年目の活動である。ワクチン寄付ではなく、ごみ削減(リサイクル)が目的で続けている。(^^)<m(__)m>
【新潟の親戚からお花を戴いた】
【香港は他人事?いつか自分に返ってくる。そして日本は中国や北朝鮮の様になってしまうのか!?】
【香港は他人事?いつか自分に返ってくる。そして日本は中国や北朝鮮の様になってしまうのか!?】
何でもかんでもルールや法律にしてしまう日本。法律を作るということは、体制に委ねる、ということ。そして体制は、法律によって自由と民主主義を束縛し始める。香港がいい例だ。人と交わる、社会で生きる、共生する、ということは、トラブルや摩擦を法律や権力(他人・他力)任せにするのではなく、自分が関わり、自分の事として、ともに解決する道を考える、ということではないのか!?
【コロナで変わるもの・・・】
【コロナで変わるもの・・・】「新しい生活様式」とは、なんだろう。外出を控え、できるだけ人と接触せず、近寄らず、マスクを着ける。昔ながらの文化的・歴史的行事は取りやめる。仕事はできるだけ家で行い、必要なものはネットで、宅配で注文。外で何かに触るたびアルコールで消毒をする。県外のよそ者やマスクをしていない者に疑心暗鬼になり、繁華街や夜の遊びをする若者を非難する。
残念だが、そんな世の中になろうとしている。
追い打ちをかけるように最近多発する豪雨被害や地震。
私は、そんな世の中が怖いし、いったい日本は、人類は、どうなってしまうのかと不安である。
そして、ある疑問を抱く・・・本当にこれらは天災なのだろうか。。。
【レジ袋、有料化】
【レジ袋、有料化】「有料化」という言葉だけが独り歩きしているようだ。何のための「有料化」なのか、「そんなの関係ネェ!」なのかなぁ(´・ω・`)・・・あ!!紙ストローだ!同じポイ捨てするなら、この方がイイ、ということか・・・(;_;)
【40日ぶりに再開】「当たり前の日常」に感謝
【アベのマスクの行方(^^)】
【アベのマスクの行方(^^)】使い道がないかと思っていたアベのマスク。思わぬところに救世主が。なんと、我が息子が職場(美容室)で使っていた。なんでも、通気性がよく、夏場は汗をかかないで快適なのだ、という。洗って何度も使えるところもイイらしい。安倍さんに感謝である(^^)
【機織りとあおり運転】
【機織りとあおり運転】
私の故郷では、機織りの音がよく聞こえていた。「トントン、ガラリ、トントン、ガラリ・・・」。昔から、農村では女の人の農閑期の手仕事の一つであった。一番大切な基本となるのが「経糸」(縦糸)で、そこに横糸を交差させ(織り上げ)て「布」ができあがる。
これはよく人間の人生に例えられる。人生でいえば「縦糸」が基本で「人の通るべき筋道=普遍的な理」といえよう。そして横糸は後から出来上がるもので、法・学問・理屈と見立てることができる。
ところが昨今の日本人を見ていると、なぜか縦糸の存在が薄く、横糸だけで布を織り上げようとしているように見える。
今日から施行される改正「道路交通法」。最近目に余る「あおり運転」についての規定ができたのが特徴だ。
縦糸(「人の通るべき筋道=普遍的な理=思いやりと秩序を守る精神」)がかすんでしまった、横糸だけのもろい布。横行するあおり運転がその典型ともいえる。
私たち日本人は今、もう一度「縦糸」について歴史と文化に学んで深く考えなければ、日本の未来はないと考えている。
画像は、ネットからの転載です。
【いただきます🙂アルファ米だってオイシイ!】
【いただきます🙂アルファ米だってオイシイ!】いよいよ明日(30日)、退院である。一昨日より、「お粥」から「ご飯」となった。この入院で、食べられることへの感謝の思いが深くなった。手術前は一切の食事がなく、点滴のみであった。それでも、手術が終わり「重湯」が出た時は嬉しかった。それから「3分粥」「5分粥」「全粥」と進み、やっとご飯がいただけたわけだ。
百姓出身の私は、「お米」が大好きである。今回の入院療養で、食、特にお米への思いがより強く、深くなった。
日本人として「お米を食べること」がいかに大切なことか、身に沁みた。そして、3度の食事が、当たり前にいただけることが、いかに幸せなことなのか・・・
この入院中に、食事をいただく前に掌を合わせ、5秒ほどであるが、昔を思い出しながら「いただきます」と祈ることにした。それは、子どもの頃、高く真っ青に澄み渡った秋空の下、山間の田んぼで父母が稲刈りをするあぜ道で遊びまわった頃の原風景である。
稲穂画像はネットより転載。
【日本の道】
【日本の道】病床の暇に手に取った冊子に興味深いことが書いてあった・・・
『昔から日本の道はみな地道であった。風が吹けば砂埃が舞い、雨が降ればぬかるむような地道であった。難渋に堪えて人々が一歩一歩踏みしめて通った道であり、そこには難儀をする人を助ける人の情けがあり、路傍に咲く花を愛でる心があり、また思いがけずにひらけた峠の展望に感嘆の声をあげる喜びがあった。今、日本の道は車が走る舗装道路である。山を削り海を埋め市中を横切って一直線に高速道路が延びている。雨が降っても風が吹いても快適に車の走る道である。だか路傍の花もなく、小鳥の囀りや虫の音もさらにない。隙あらば割込んでくる車の群れ。
かって互いに道をゆずり合った日本人の謙譲さは今どこにあるのか、と云いたい現状である。』
・・・今、日本人として、「世界と同化し透過してしまわない」ために、自分に何ができるか、考えてみたい。
画像はネット転載です。
【裁縫の上手な若い先生「僕は外科医ですよ~(^^)」】
【裁縫の上手な若い先生「僕は外科医ですよ~(^^)」】
術後の経過も順調で、来週には退院が決まった。
昨日、すでに針を抜いたステープル縫合(医療用ホチキス縫合)の一部から出血があり、部分的に再縫合していただいた。今度は、昔ながらの針と糸を使った、いわば「手縫い」だ。病室のベッドで、部分麻酔をかけて、鮮やかに手際よく4~5針縫っては結んでいた。私「先生、裁縫も上手なんですね~(^^)」先生「僕は外科医ですよ~(^^)」看護師やスタッフとのやり取り、患者との会話にも気遣いを感じる、しかし、爽やかな、自信に満ちた雰囲気のある若い先生である。
TVでは「相変わらずコロナ騒ぎの中、医療従事者や家族へのバッシングがある」と悲しい話題が聞こえている。私たちは余りにも利己的・自己中心的になりすぎ、周囲を思いやれなくなっている。自分が今、当たり前の暮らしができているのは目に見えない自分以外の力があるからだ。そもそも、地球は人間だけでもない、全体として運命共同体なのだ。特に日本は、歴史上途切れる事のなかった世界で唯一最長の統一国家である。各種祭事や芸術をはじめとする様々な文化は、「日本人が自然と共に集団で命を繋いでいく為のありとあらゆる知恵が連綿とつながった日本の魂」なのだ。
今、他人や社会のことを真底考えて生きていける底力を、魂として持った純血種族は「日本人」だけではないか、とすら考える。
そんなことを考えていたら、医療スタッフはもちろん、毎日ベッド回りの清掃や清拭をしてくれる方々にも「いつもありがとうございます」と素直に頭が下がるようになった。
自分の囚われている「狭い正義感や理屈」、「押し付けられた倫理・道徳」、「便利と楽ちん」にカブレた外来文明に流されて生きている中は「既製品・規格品」でしかない。
しっかりと自分の命と、その流れを見つめなおしたい。「惜しまず、欲しがらず」・・・。
【やっぱり、ビスコ!】
【自分の国に誇りと自信が持てない、日本の若者たち】 =アインシュタインが絶賛した世界でただ一つの国日本=
【自分の国に誇りと自信が持てない、日本の若者たち】
=アインシュタインが絶賛した世界でただ一つの国日本=
去年の調査より。悲しいことだが、「自分の国の将来が良くなる」と答えたのは、9か国、18歳、各国1,000人中、の最下位・・・。大変残念だが、これは子どものせいではない。明治以降、日本らしさを捨てて、急速に欧米化させたツケがジワジワと回ってきたのである。そして、子どもたちは「豊で便利」ではあるが、「利己的で信用できない」大人たちに失望しつつ、自分もやがてその大人になっていくことに、諦め冷めている・・・
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<アインシュタイン(ドイツの法学者シュタイン博士という説もある)の言葉 ~尊い国~
近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違ったなにものかがなくてはならない。果たせるかなこの国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いて来たという国体を持っていることが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。
私はいつもこの広い世界のどこかに、一ヶ所ぐらいはこのように尊い国がなくてはならないと考えてきた。なぜならば、世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、最後には闘争に疲れる時が来るだろう。このとき人類は必ず真の平和を求めて世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。
その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国を作って置いてくれたことである。アインシュタイン>
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かつてアインシュタインが我が国の歴史や文化を学んでこう言わしめた国、日本。
日本は「世界で一番古い(王)国」としてギネスに載っているという。2番目はデンマーク。中国や欧州諸国の歴史が古いように思われるが、これらの国々は「連続しない国家」という歴史があるだけなのです。ここでいう「王」とは、日本では皇室のことをいい、現在に至るまで直系の子孫によって統一されてきた、世界で唯一の国なのです。
ところが、今の日本はこのアインシュタインの言葉に値するでしょうか(;_;)・・・
江戸時代の「鎖国」というと、閉鎖的な悪いイメージを湧かせますが、キリスト教を布教し侵略する、というポルトガルやスペインの謀略にはまり、日本人が奴隷として売買されるという実情を知った豊臣秀吉の「バテレン禁止令」、そして徳川幕府の「鎖国政策」により、日本はその魔の手から逃れた、と言えるでしょう。
もし、鎖国がなければ、日本はキリスト教一色に染まり、欧州の企み通り侵略され、植民地化されていたでしょう。(そこで「日本」は終わっていた)
しかし、歴史は天皇制こそ残しましたが、明治維新、度重なる戦争、そしてついに敗戦という変遷をたどり、アメリカの指導下(植民地とまではいかなかったのが幸いか)で憲法を再制定し、教育制度の大転換により骨を抜かれ、「発展・合理化・経済至上主義」という言葉に置き換えられた「欧米化」という波に飲み込まれてきたのです。
敗戦や欧米化によって失われたものの「大きさ」はここに来て大きな「病巣」となって表れ始めています。
日本人としての精神の喪失、合理主義、理屈偏重、押し付けの倫理・道徳、自己喪失、物欲主義、科学・経済至上主義、利己主義、歴史・文化軽視、グローバル化・・・・そしてついには、冒頭の調査結果のような、若者にとって誇りの持てない、夢のない、諦めの国になっているのです。
現実に何を招いているか・・・格差社会、利己的社会、歴史を忘れた底の浅い家庭・学校教育・・・その結果として「いじめ」、「こころの病の蔓延」、「希薄な人間関係」、「固定化された理屈としての倫理道徳」、「自己のない人間」、「お金や地位・名声偏重」・・・。
既に「土壇場」といってもいい状況ですが、まだ望みはあります。救いは、失政と言われるバブル崩壊後~現在の政権ですが、かろうじて今回の新型コロナ危機の対応として「自国通貨建ての国債」で乗り切ろうとしていることです。これによって、未曽有の経済危機から脱するかどうかは我々国民の肩にかかってきます。
だが、「経済」はそれでいいとしても、もっと重要なことは、消され、忘れられ、捨てられてきた世界に冠たる日本の歴史と文化(=「日本人の魂」)をどう呼び戻すか、ということです。肝心のこれが復活できなければ、他の国と区別もつかない、アインシュタインが称賛した「日本」はやがて消滅することは目に見えています。
万物を神として崇める国日本、武士道の国日本、自然を尊ぶ国日本、一君万民の国日本、世界一歴史のある国日本。
私たちは、歴史に学び、先祖を尊び、自然を崇め、自己の欲望を抑え、自己で責任を全うできる、純粋な「日本人」なのです。
【本日、長女が入籍しました】
【本日、長女が入籍しました<m(__)m>】
披露宴はまだ先だが、二人でお金を貯めるために入籍・同居を始めるという。きっと今どきの考え方なんだなぁ。結婚に際して父としてお願いしたのは、昔ながらのしきたりは、質素でもいいので省略してはいけない」ということだった。間が悪いことに、私が入院中なので「結納」がまともにやれなかったのが残念だが、これも私の不徳であり仕方がない・・・。
記念写真を野外ロケで撮影したとかで、沢山の写真を見せてもらった。望んで「写真スタジオ」に就職し、自身も着付けや化粧、撮影までをする仕事だが、一番尊敬する先輩に撮ってもらったらしい。
これから夫婦になる二人に、父として、先輩としてこれだけは・・・という言葉を贈った。
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結婚する二人へ。
父が結婚する頃は「この人を幸せにする。大事にする」とありきたりのことを考えて満足していました。
しかし今は違います。一人ではだめなのです。夫婦に限りませんが、他人を幸せにする、とは、「相手に生きる力を与えること」に他なりません。人は他人に力を与えることができた時、自分も幸せを感じます。また、そういう人間でなければなりません。つまり、一人で幸せになることなどあり得ないのです。
夫婦はまさに「一番心を許し合い支え合えるパートナー」です。
「自分だけが正しい」はありません。時には自我を抑え、相手の事だけを考えることも必要です。
二人に「夫婦対鏡」(夫婦はお互いを映す鏡)の言葉を贈ります。
最後に、人として・・・
誰もが気づかないうちに親や祖先の「因縁」を背負って(背負わされて)生きています。何が因縁なのか、その因縁を子孫に遺すべきなのかどうか、自分の代で納消すべきものか。
夫婦は死んでなお子孫に因縁を遺すということを深く心に留めておいてください。徹底的にその因縁を自分の中で咀嚼し、悪い因縁は他のせいにせず、自分の代で自分の力で断ち切らねばなりません。
結婚、おめでとう。父より・・・。
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写真は、撮影者・娘たちより同意を得たものです。