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【何故、逮捕されるようになっても平気なのか??】

【何故、逮捕されるようになっても平気なのか??】河井議員の買収疑惑。前法相についてのネット記事が辛辣だ。
『案里議員の選挙運動では、街宣車のルートを早く決めるよう指示するなど、細部まで取り仕切った。気に入らないことがあるとすぐに声を荒らげ、「土下座しろ」とスタッフを怒鳴り付けたり、「辞めろ」と大声を上げたりする姿が目撃されていた。「ウグイス嬢はトイレにも行かせてもらえなかった」という。党関係者も「議員バッジの威光をかさに、国や自治体の役人をどう喝することがあった」と明かす。岸田文雄政調会長=衆院広島1区=が影響力を持つ党県連内では孤立しがちで、地元選出議員に県が政府への要望を説明する年2回の会合にも参加していなかったという。』
政治は国民のレベルを超えない、と言われるが、まさにそれが見え隠れする事案である。
1.自分の選挙の時もそうであったが、議員は「清濁併せ持つことが必要だ」とよく聞く。「清」はわかるが「濁」とは何のことだろうか?
2.政策論ではなく、お金持ちや権力者、有力者だけが立候補している選挙。
3.選挙や政治には「お金」がかかる実態。
4.立ち回りがうまい、票集めがうまい・・・などと「選挙技法」の競い合いや「選挙屋」と言われる者たちの存在。
5.自分の考えではなく「勢いと雰囲気」に載せられる国民。
6.公約以外は、資質や人柄などが評価され辛い選挙制度。
7.利権や権力になびき、自己本位の投票に走る国民。
8.寄付金・献金・陣中見舞・当選祝など、買収以外に理由がつけられる公職選挙法。
9.手厚すぎる議員の給料や諸手当、政党への助成・交付金。
・・・まだまだ考え付きそうだが、決して立候補する側だけの問題でないのは明白だ。
こういう問題は、容疑者だけが責められるべきでなく(河井夫妻を庇う気は毛頭ないが)、他人事としてではなく、そういう土壌を作ってきた我々国民も襟を正さなければならない。

【人にはそれぞれの分がある。それ以上でも以下でもない】

【人にはそれぞれの分がある。それ以上でも以下でもない】
「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
この短歌は古典落語に登場するものだそうです。
元総理大臣の故・田中角栄氏。当時の首相経験者の先輩政治家や、総理を争っていたライバル達がほとんど東大卒の超エリートだった中、中卒の草の根庶民派政治家として、人情と義理を売り物にしていました。
「かごに乗って目だっている人は、かつぎ手やかごを作る人やわらじを作る人によって支えられていて、それではじめて自分も生きられる、すべての人々が、天に与えられた役割をこなしているから社会が成り立っているものだ」
ということを話していたそうです。

→人を羨んだり、妬んだり、分にそぐわぬものを望んだり。深く己を知り、正直に、慎ましく、惜しまず、欲しがらず、楽を求めず、生きたいものです(^^♪
※記事・画像はネットより転載。

【藤平山から決死の大滑降(^^);】

【藤平山から決死の大滑降(^^);】新潟の我が故郷。真正面に見える「藤平山」の思い出だ。当時この麓に住んでいた。何歳の頃だろうか、父と共に春先の雪が凍み渡った朝、斜面をソリを担いで登り、雪が緩んだころを見計らって芝木を満載して山頂から滑り降りた記憶が残っている。ジェットコースター以上のスリルだったが、今にして思えば、雪崩にも合わず、怪我もせず、良く生きて帰ったもんだな~(^^)/

【アベノマスク】届きました。

【アベノマスク】届きました。なんか、小学校の頃を思い出すマスクだなぁ(^^)
いろいろ言われ、思うところもありますが、ここまで来たら総ては「我々が住む国の我々が選んだ政権」が成したこと。批判ばかりしていても始まらないので、前向きにとらえ、我が家では足りているのでどこかに寄付しようと考えています。
しかし・・・本音は・・・電車通勤もあるし、「国産」の不織布マスクがいいなぁ・・・って・・・

 

【日本人とお米】ご飯が食べた~~い(^^♪

【日本人とお米】思いがけず訪れた入院療養の日々であるが、幸い、先は見えている。これも「何か意味があっての授かりもの」、と考えて時間を使わせていただいている。
難儀なことは多々あるが、一つは食事。当初は点滴+5分粥+消化の良い魚や野菜などだったが、最近は様々な検査が多いため、点滴+栄養剤(フルーツ味を付けた、コップで飲むだけの薬剤)が3食繰り返す毎日だ。
正に不自由をして初めて気づくありがたみ、である。3食、白いご飯粒を食べられることが、いかに有り難いことか。農家に生まれ育ち、米作りの一部始終を見て育った私である。もちろん野菜は畑から、旬の山菜、飼っていた鶏の卵、時には養殖していたニジマス、そして自家製の味噌。一部の調味料以外は、買ってくる食材などない自給自足の暮らしであった。
こうやって不自由してみると、如何に自分が「お米=ご飯」という食文化の中で育まれてきたのかが身に沁みて分かる。それは「食」に留まらない。農家が集まった集落であったから、暮らしの総てが農作業を中心に回っていた。身動きの取れない雪の季節の正月行事、雪溶けとともに始まる農作業、夏休みと夏祭り、秋の収穫。そして農家の人間同志の繋がりと暮らしの営み。
だが時代は様変わりし、欧米化の一途を辿っている。そして感染症の流行により、今、更に変化しようとしている。
私たちは(まだ)「日本人」である。幸せなことに普段は意識すらしない「日本」という(祖先たちが繋いできた)国の枠組みがあるからこそ、今の「満たされた幸福」を享受できている。そして、国の枠組みの根幹は、目に見えない「日本文化」そのものである。
「欲しい」「惜しい」「楽」に踊らされて、忘れ去られたり、様変わりして行く日本文化、それと共に消えて行くであろう国と国との違い。私たちが欧米と同化してしまった時の恐ろしさを、皮肉にもその立役者である「近代化された情報網」により、自宅に居ながらにして毎日のように手に取るように見ることができる。が、だれもその世界が、いずれわが身に降りかかるなどとは考えないだろう。しかし「国」がなくなる、とはそれを意味する。
そうならないために、今私たちが取り組むべきは難しいことではない。しかも「考える」だけだ。
それは「国=文化」であるということ。なにも難しい古典や歴史を学べと言っているのではない。自分の親の、その親の、さらに祖先の繋がりを見聞きして思いを馳せ、今の自分の中で消化し、恨まず、妬まず、いまある命を心から喜べるようになる、ということだ。
思いがけず訪れた病床での貴重な時間に、無宗教・無思想の凡人の私が「米(ご飯)」から始まって「おもしろいこと」を考えているもんだ(^^♪

【褒められて伸びるタイプなんです(^^♪】※誰を愛し、誰に愛され、誰に助けられているか・・・

※誰を愛し、誰に愛され、誰に助けられているか・・・
【褒められて伸びるタイプなんです(^^♪】
点滴を交換するのに躊躇している新人看護師さんに「ありがとう、がんばれ~」と声をかける。ヘルプで交代したベテランさんには「初めて何の痛みも感じなかった」と言ったら「私、褒められて伸びるタイプなんです」と礼を言われた。
医療現場で働く人々、支えてくれる家族、それぞれの言葉で励ましてくれる縁者の方々、・・・。
新たな段階に入った「新型コロナとの闘い」。第2波を防げるかどうか・・・
愛する人、愛してくれる人、支えてくれる人・・・今までにも増して、「自分一人ではない、周囲の支え合いの中で生きている」ことを強く・深く腹に据えて行動したいものだ。
イラスト画像は、ネット転載です。

 

【コロナ離婚】今の日本の夫婦・家族事情

【コロナ離婚】今の日本の夫婦・家族事情
今朝のNHK「あさイチ」で「コロナ離婚」について取り上げていた。
「一緒にいるのがガマンならない」「今までも考えていたが、このコロナで堪忍袋の緒が切れた」「家事を手伝わない」「子育てに無関心」「夫の親の介護まで押し付けられた」「することがイチイチ気に障る」「文句ばかり言う」・・・食器を出しっぱなし、トイレのふたを閉めない、ゴロゴロしている、鏡の汚れを気にしない・・・。
一方で「不倫の証拠をつかみ、離婚に向けて材料を溜めている」というものも。
「子育てにかかるお金の事を考えると、離婚したいができない。我慢している」といった声も多いらしい。
ある夫婦は「コロナ直前に離婚を切り出したらコロナ期間に夫が謝罪し、少しづつ変わってきた」とか。
また円満離婚し、女性が子供を引き取り離婚後も交流があるパターンでは、その子どもへのインタビューへの返答は「お父さんは怖かったのでよかった」「会えないわけではないのでこの方がいい」といったものだった。
番組では離婚をするための「婚姻費用」や、その他のアドバイスについても専門家を交え解説していた。
なんのことはない、コロナが原因のようであるが、それに関係なく今どきの夫婦の問題を文字通り「コロナ」が炙り出した格好だ。
この番組が「女性目線」であり、且つ「子どもは女性が引き取り養育する」という前提の企画が気になったが、ここで語る本質に影響することではない。
オンラインでは面倒なことになるのでここでは語らないが、コロナに関係なく、なぜこのような状況になっているのか私は見当がつくので、今の男が悪い、女が悪い、政治が悪い、などという気はサラサラない。
バッシングを受けると思うが、このような世相に対して(様々な個別・特殊事情は一切考慮しないで)、誤解を恐れず、しかし「泣きたい思いで誇張して皮肉な仮定」をしなければならない。
【結婚制度は廃止。こどもは欲しいが相手はイラナイという向きには「精子ビジネス、卵子ビジネス、出産ビジネス、子育て・人間教育請負ビジネス、養子縁組・交換ビジネス」をAMAZON(AIフューチャー版)に開放する】・・・こんなのはどうだろうか・・・(;_;)
さあ、どんなSF小説ができるか・・・あるいは、近未来の現実か・・・(;_;)(;_;)(;_;)
画像はすべてネット転載です。

蜘蛛の糸【新型コロナ支援の10万円給付】

蜘蛛の糸【新型コロナ支援の10万円給付】ネット記事より。
 我が家(4人分)はまだ申請書も届いていないが、この所有権を巡って様々なトラブルがあるという。
「主人が全額使うと言っている」
「10歳の子が自分のお金だと主張している」
 法律的解釈、道義的解釈についてはさておき、さてさて、情けない(悲しい)国になったもんだ。あるいは「人間的」と言うべきだろうか・・・
 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を連想した。家族4人分、40万円からぶら下がった蜘蛛の糸。下から家族4人が競って取りに上る、という構図だろうか・・・
 さらに悲しいのは、これを他人(記事は弁護士ドットコム)に相談しなければならないような家庭がある、ということ。
 4人でぶら下がった挙句、蜘蛛の糸がプッツリ切れ、家族4人は奈落の底へ・・・(;;)
 画像はネットより。

【「なが~~い目で見た日本人の幸せ」って?・・入院徒然日記】

【「なが~~い目で見た日本人の幸せ」って?・・入院徒然日記】
選挙に落ちてこの1年、やっと気付いたのは「人が生きる総ての責任は今の自分の内にある」ということ。(他のせいにして生きないこと)
親やその他から受け継いだり刷り込まれた「悪い因縁も」自分で引き受け・消化して、「次に繋がないように生きる」ということです。
私は今まで、あまりにも頭でっかちで「理屈」が先行していました。
一番難しいところですが、理屈(知識・倫理・道徳・因縁も理屈の一部です)は生まれた後に経験や教育などで付加されるもので、これが先行している(いちばん前に出して生きている)うちは「既製品・規格品」でしかありません。(他人が作った人生を生きるようなもの)
理屈やお金は「人間が生きるために必要」ではあるが「一番大事なもの」ではありません。
「入院」という時間を頂戴し、今私は、生まれながらに自分の内に備わったもの(根っこ)に向かって自分を掘り下げることに取り組んでいます。(別に宗教や右翼思想・おかしな団体に染まった訳ではありません。)その根っこにたどり着いたとき、初めて「人として生まれてきた意味」が分かるのだと思います。
私は、選挙に落ちた時、とり憑(つ)いていた「大きな何か」が落ちました、が、まだまだその残骸が離れません。きっと死ぬまで、たどり着けずに探し続けるのでしょうね・・・探し続けながら死ぬ・・・それでいいと思っていますが(^^)
古来、日本人は「文化」を通して、ここに書いたような「何か=根っこ」を繋ごうとしてきましたが、海を越えた近代文明と敗戦が「合理主義=便利で楽=人間の一番の弱点」を日本人にジワジワと埋め込んでしまいました。「日本らしさ・日本文化」は薄れるばかりです。それでも、島国「日本」は地理的にまだ恵まれています。
今は何となく、『日本文化を守ること=「国」という枠組みを守ること=子孫の幸せ』であると考えています。

【与えられた時間に感謝して】中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を聴きながら・・・

【与えられた時間に感謝して】中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を聴きながら・・・
 救急病棟のベットで3日目の目覚めを迎えた。あっという間に世界中に蔓延した新型ウィルス感染症による緊急事態宣言の影響で面会は一切できない、そんなご時勢だ。
 3日前に救急搬送してもらったが、今は状態が落ち着いて痛みもない。昨日は「仕事上の月の締め日」ということもあって、家族に届けてもらったパソコンを広げ、バタバタとした1日であった。そもそも、3日前は仕事などできる体調でなかったこと、そして少し良くなっても、仕事などできる環境でないことから始まり、仕事を始めてみれば普段なら当たり前の「印刷」や「押印」、「スキャン」、「郵送」といったことですら、一人ではできない情けない状況に、改めて「五体満足」という言葉を噛み締めた。
 しかし、それよりもっとゝ大事なことに気づかされた。
今更ながらに、人間は「一人では生きていけない」ということ。
妻や子供たちが協力し合って、身の回りのものを揃え、届けてくれた。家族にとっては自分以外の人間の我が侭なリクエストが、自分の日常に容赦なく割り込んで来た訳だ。それが元で「イライラ」したり「ぶつかり合う」ことすらあるだろうに・・・ありがたいことだ。
 病院でもそのことが痛感させられる。私のような消化器系の病気は表見には普通で、体も動かせ、排せつも洗顔も着替えも、何でも自分でできる。容体が落ち着いたからではあるが、余裕ができると看護師をはじめ医師、清掃、薬剤師など医療スタッフの方々の心のこもった行き届いたケアサービスにこころが洗われる思いだ。とても「仕事だから」などという言葉で置き換える気にならない。
 昨夜、点滴の注入口のソケットが緩み薬液がもれていることに気づいた。ナースコールをしたところ、夜間対応の若い女性看護師さんが駆けつけてくれた。様子を見てすぐに申し訳なさそうに「すみません。新人で私には対処できそうにないので、別のものを呼びますのでしばらくお待ちください」と詫びた後、先輩看護師とともに対処してくれた。深夜、眠れずにいた私は、様子を見に巡回に来てくれた同じ看護師さんに問うてみた。
「大変なお仕事ですね。ありがとうございます。夜間当番は何時間くらい働くんですか?」彼女は点滴をチェックしながら「え~~と。16時から9時までですから・・・・」私は頭の中の時計を回して計算してみた。「え~~~!17時間もあるじゃないですか!!」「でも2時間は休憩できます」「それでは、3日くらいは休めるんでしょ?」「う~~ん。今週は1.5日ですね」・・・私は絶句した・・・。
 新型ウィルスで医療現場は未経験の状況に見舞われている。挙句、感染を恐れる余りあろうことか「感染するから近寄るな」といったバッシングすらあるという。ここ2か月ほど私は野次馬的に「酷い言葉をかける人間もいるもんだ。医療現場で働く人たちがあるからこそ、我々はこんな状況でも元気に暮らしていられるのに・・・」などと考えながらも、他人事として暮らしていた。
 しかし、いざその渦中に(新型ウィルスではないが)そのサービスを受けることになると、まったく別の思いが湧き上がってきた。
 これは他人事でなない!ウィルスが発端ではあるが、政治、経済、環境問題、そして現在の人間たちのあり様に突き付けられたシナリオ通りの試練ではないだろうか!?
 他人事のように考えていた私自身、大事なことに気づいていなかったのだ!この事態は、わが身のこと。人間一人一人が他人事と考えている限り、真の解決はないのではないか!?
 一人ベッドの上で心を静めて己に問うてみた。
父のこと、母のこと、今の家族、祖父母、親戚、ご先祖、友たち、生まれ故郷のこと、私に関わってくれた人々、大自然・・・何一つ欠けても今の私は無い!!
「人は一人では生きていけない。いや、人は人や大自然と生きるためにある」
 私は何を遺して、何を引き継いで命を全うできるのか。
政治が悪い、誰が悪いなどと己を庇い偽って生きるより、万象総て引き受けて生きることができたなら、なんと自分本位に背負ってしまった荷が軽くなるであろうか・・・
 家族が届けてくれたイヤホンをスマホに差し、愛用の音楽プレーヤーを立ち上げた。通勤途上のBGM用に溜め込んでいたもので、ジャンルを問わず2,000曲近くある曲の中から、最初に流れてきたのは中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」だった。聴き入っているとなぜか、涙が溢れた・・・。
 相部屋の患者さんと看護師の会話が漏れ聞こえてくる。「○○さん、息子さんが何か欲しいものがあれば言ってくれ、ですって」・・・
 点滴だけで3日間何も食べていない。無性に妻の作る手料理が食べたくなった・・・。

地方議員の本懐【千葉市議会議員 給与年額1,300万円+360万円。新型コロナに乗じた給与泥棒!?

地方議員の本懐【千葉市議会議員 給与年額1,300万円+360万円。新型コロナに乗じた給与泥棒!?
 千葉市議会は遊んでいるのか?情勢に甘んじていないで、こういう時こそ本来の議員の本懐に立ち返り、工夫を凝らした議会運営をしたらどうか!!
 千葉市議会の日程を検索してみると、臨時会議も含め、平成2年の会議は3月16日までで、次の日程は6月8日からとなっている。新型コロナの一番のピーク期間は、ぐっすりとお休みしている格好だ。他の地方議会を調べれば、やはり新型コロナ対策と称して休会や延期をしているところも多いらしい。
 行政が新型コロナ対策に追われ、議会の答弁にかける時間が惜しい、という情状酌量については一定の理解はできる。が、国会も含め、議会の形式については、以前から疑問がある。質問者が事前通告を行い、それによって行政が多大な時間をかけて整えた答弁書により答弁を行うという、形骸化したような運営に終始している。中には、質問や答弁がシナリオ化され、まるで学芸会のような(決して子どもたちが真剣に演じる学芸会を卑下しているわけではありません)茶番を演じているところもあるらしい。また議事録を見てみると、他愛ない世間話的な質問と杓子定規な答弁も目立つ。
こんな会議を運営するために我々は税金をかけて選挙を行い、血税から年間1,300万円もの給与を払っているのだ。(さらに政務活動費が年間360万円加算される)
新型コロナにより庶民生活は混乱を極めている。それも質の悪いことに、静寂なる大混乱なのだ。こんなときこそ、地方議員は本懐をよく反芻(はんすう)してほしいものだ。高級スーツにバッジをつけ、胸を張って闊歩し、あるいは、後援者に腰を低くして媚びへつらっている場合ではないだろう。
会議はこの時代、オンラインでもできる。なによりも、行政に時間をかけさせ決まりきった答弁を引き出すような質問をするのでななく、議員50人(必要であれば分科会にして)で其々の地元の声をもとにしたテーマを決め、ディスカッションしてもいいだろう(ぜひ、公開してほしいものだ)。その結果を、政策提言として行政の代表(首長)に届ければよい。
これはこんな時だからこその切なる願いと叫びだ!地方議員の本懐をよく考えてほしい!!
(画像はネット転載です)

【これはもう「日本文化」】たわし!日本が世界に誇るもの!!

【これはもう「日本文化」】
日本が世界に誇るもの「亀の子たわし」
連休に庭で家族でBBQ。その片付けに大活躍!
温故知新。新しさや容易さだけを追うのではなく、古き良き文化も大切にしたいものです。日本が、日本であるために。
恵まれた島国「日本」。しかし、文化を疎(おろそ)かにすると、やがて国境がなくなり、国がなくなり、ついには自分のこころのよりどころがなくなります。
日常では気付きにくいことですが、日本人の心は「日本文化」でできていますね~。これは、世代を超えた(というより、世代で受け継ぐからこそ)いのちの営みですね~。
今は・・・いや今こそ、「日本人であることの意味」をしっかり考えるときですね~(^^)

【自粛・・・】の一方で・・・

【自粛・・・】「自粛」のせいか、路上ごみが目に見えて少ない。替わりに、家庭ごみが増えているという。ニュースでは、高級食材の消費先が休業し、値が下がったため一般消費者へのネット通販が大幅に伸びているという。一方で、職を失い、今日の食事や寝る場所にも困窮している人たちも目立っているという。
妻と二人で九十九里海岸を歩いてみた。
田植えを終えたばかりの房総の田んぼに上る朝日を見て、目頭を熱くして手を合わせないではいられなかった。
「一体、私たちはどこに向かって歩いているのだろう・・・」

 

【母の日に亡き両親と子らを想って】「親孝行 したいときには・・・

【母の日に亡き両親と子らを想って】「親孝行 したいときには 親はなし」という。父は18年前、母は6年前に他界しているが、歳を重ねるにつれ、だから「親孝行」できない、とは思わなくなってきた。
子らが独立した未だに(いや益々)、「親」とはなんだろう、と考えるようになった。親も人間だから良きにつけ悪しきにつけ様々な姿を見せてもらい、教え育んでもらった。
今思うことは、「間違いないのは、この世に生を受けたのは親の存在があったればこそ」という紛れもない事実に気づく事こそが、親孝行なのだということ。
今が悪いのは親のせい、社会のせい、などと考えていては「いのち」に対して背くことだと思う。生まれてきた以上、万象すべては己に起因してのこと、と引き受けて生きてみたいものだ。子らの成長を見つめつつ、それを鏡として今やっと、わが身の不甲斐なさを責めている。最早、言葉では伝えようもない。
子らには、同じことに早く気付いてほしいと思う。
今日、両親の遺影に手を合わせ、改めて「親孝行をしなければならない」と深く思った。

そんな議員はイラナイ!!!

※議員はみんな「他人事」でモノを言っている※

国会議員はなにをしている!今役に立たない連中は、いらない!!党利・派閥などの次元ではない!

地方議員は何をしている!中央へ声を届けられない連中は、いらない!!我々民衆には選んだ責任がある!今、自分の責任として、日本は生まれ変わらねばならない!!   【五十嵐秀雄】

【スーパーの従業員への思いやり】

【スーパーの従業員への思いやり】レジ係や店員にコロナがらみの文句を言うお客が増えているという。今、試されるあなたの人間性。医療や物流・小売、福祉、行政関係、ライフライン関連等々に従事する方々。休みも取れず、身の危険も顧みず、働いてくれる方々がいるから私たちは暮らしていけるのだ。
そこに思いを寄せられないような身勝手・自己中心的人間は、普段の生活でも相当、家族や周囲に因縁があるはずだ。そしてその因縁は後に継がれる・・・。
今の自分の局面は、周囲に原因があるのではなく、総て(先祖を含めた)自分にある、と考えるのが「楽な生き方」だ。このウィルス問題でさえ然りだ。きっと何かの意味があると考えてしまう。他人や社会のせいにしないことだ。様々な因縁は、総て自分が引き受ければ、後世の世は良くなる。無宗教・無学の私が、いささか宗教じみてきた感があるが、「私は、地球の裏側で葉っぱが1枚散っても、自分に吹く風が変わる」と考えて生きている。まったく変わった人間だなぁ(^^)
画像は、フリーネット画像より転載。

【マスク、消毒用アルコール、ハンドソープが、ない~~~!!】

【マスク、消毒用アルコール、ハンドソープが、ない~~~!!】
いよいよ我が家は紙マスクも「つけおき洗い&再利用モード」になった。妻がマスクを縫ってくれた。内側にティッシュを畳んで入れて使う。
いろいろと不便だが、これからが「人間性が試されるとき」だ。「日本人である」ことを忘れないように生きたい!!
「アフターコロナ」の世が、人間も唯1つの種に過ぎず、すべての生き物が共存でき、地球環境に感謝できる世であることを切に願う。あまりにも「人間のご都合主義になりすぎた地球」が「人間のせいで滅びないように」・・・
今は「本当に大切なものを考えるとき」だ。

fbt

【皿を舐(な)めていた母】を見て育った私

【皿を舐(な)めていた母】小さいころから、よく母のその仕草を見ていた。ものごころついたころには、「行儀が悪い」とは感じていたが、それでもそんな母を「恥ずかしい」とは思わなかった。結婚し子どもをなし、居を構えた。父が先立ち、一人になった母を呼び7年暮らした。妻や孫の前でも、その仕草は変わらなかった。その後の2年は特養のお世話になった。息子である私の名前が分からなくなっても、その仕草だけは変わらなかった。
 今では私が、皿についたアンコの残りを(さすがに舐めはしないが)「モッタイナイ、モッタイナイ」と笑いながらツツイている(^^)
【ご飯粒 お茶で洗って 流し込み ウマイウマイの 母に幸あれ】
【ペロペロと 皿を舐めては ニコニコと はにかむ母の 写真が笑う】

【あなた色に染めてぇ(^^)】

【あなた色に染めてぇ(^^)】結婚当時は塩辛いもの、味の濃いものが好きで、醤油などは「ドバドバ」とかけていた。一方、甘いもの(アンコもの)が苦手で、特に羊羹や最中、お汁粉などは大っ嫌いであった。
 ところが「~あれから40年!~」ではないが、今では・・・妻が「味が薄いかしら・・・」という料理も「いや、濃いくらいだよ」。醤油は「減塩醤油」だ。極めつけは「お汁粉のプールで泳ぎたい」と言って憚らない妻にすっかり調教され、戴きものの団子を「こりゃウマイ!」と言いながらニコニコしながら妻と奪い合っている(^^)
 結婚当時とは見違えるほど!(^^;)!「よく育った妻」を前に、私も見事に膨らんだお腹を摩りながら、「新型なんとかウィルス」と戦う日々である(^^)

【負けない!】

【負けない!】今日はよく晴れた。在宅ワークになってから始めた妻との2時間の散歩。負けるもんかっ!(^^)!マスク姿で、すれ違う知り合いたちと、気遣い合いながら、静かだが力強いエールの交換をする・・・元気が出る。負けない!