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【桜からもらう元気!日本は、負けない!!】

【桜からもらう元気!日本は、負けない!!】
 在宅ワークを余儀なくされている。妻と時間を決め、1日2時間の散歩を日課にしている。近くに流れる「支川都川」川岸の遊歩道がうってつけだ。ここには私がボランティアで所属するのNPOが約10年かけて植樹した約300本の桜が(今年はまだ)咲いている。昨年の台風や豪雨で倒れた桜が何十本もある。NPOではできる限り手当てしているが、追い付かない。
 驚くのは、倒れたどの桜も、横になっても見事な花を咲かせていることだ。散歩しながらこれらの桜たちを見ていると、なんだかウィルスと戦っている今の日本と重なってしまう。
 日本人は、歴史的にも逆境に強いのだ。世界中の問題だが、日本には日本なりの戦い方があるはずだ。今こそ、一人一人が、日本人であることに立ち返り、他人事でなく、政治や制度の問題にするのではなく我が問題として捉え、励まし合い、思いやり合いながら戦っていきたい。
 この戦いに勝ち切れば、きっと何かが良い方向に変わる。この戦いは、慢心しきった人類や日本人への、大自然からの警鐘ではないだろうか・・・。
今、本当に大切なものを、しっかりと見直してみたい。

【野山のめぐみ】木の芽

【野山のめぐみ】子どもの頃からの感覚は衰えないものだ。父や母と春の野山に分け入っては「この辺にありそうだ」という野生の感覚!?が身に浸み込んでいる。我が故郷(新潟魚沼)ではアケビの新芽が「木の芽」として春を告げる山菜として喜ばれる。今は千葉だが、幸いにもアケビを目にする環境で暮らしている。秋にアケビがあるということは、春には「木の芽」である。
しかし残念なことに、この辺の木の芽は苦みが強くてうまくない。やはり「長く雪の下で耐え忍んだ木々だからこその味」なのだろうか。
10年以上の歳月をかけてこの川土手に自分たちで植えた桜並木。今、桜吹雪を浴び、故郷を想いながら我妻と散歩できるとは、まことに幸せなことである。ここに及べば、唯々、総てに「感謝」しかない。

【「楽な」「効率的な」子育て?】

【「楽な」「効率的な」子育て?】おばぁちゃんの「安寿と厨子王」・・・
 ネット記事より。youtubeなどのネット動画に、一般人による絵本の読み聞かせが多数存在し、「メルカリ」などによる売り買い事例もあるという。そこには「多忙!」な現代の親たちの子育てを「善意で助けている風味」が漂っている・・・。
 このネット記事では「著作権侵害」がテーマであった。それはその通りで、重大なことである、が、私は、もう一つ気になる。それは、「読み聞かせ」や「語り」の意味である。同じストーリーであれば、誰が読んでも同じだから、それは「他人のビデオ録画・録音」でも構わない、という考え方が現代人の根底にあるのではなかろうか。私の子どものころ「寝物語」は決まって『おばあちゃんの「安寿と厨子王」』であった。ばぁちゃんが語る悲しげな「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」のフレーズは、悲しい母子の別れの切なさがなぜか幼児の私の心の奥底に刻まれてしまった。
 私と妻は、自分の子どもたちに「絵本の全集」を買い与え、時間を作っては膝にのせて、また、枕もとで、よく読み聞かせした。
 ストーリーも大事であるが、親や家族の肉声で、体を寄せ合って、心を込めて語り聴かせることが何よりも大事だと思う。

【不要不急??】田起こし

【不要不急??】日曜日。外出の自粛要請が出る中、延期していた田んぼ作業(田起こし)を行った。ボランティア事業であり、農業が本業ではない。しかし、やらねば田植えができない。子供たちや保護者と調整し、最低人数(4人)での人力作業だった・・・きつかったぁ~~~(^^)

【親の気持ちがやっとわかる歳に・・・】

【親の気持ちがやっとわかる歳に・・・】子どものころ、魚を食べるのが下手だった。まだ食べられる身の部分がいっぱいあるのに、箸で荒くつついては、残していた。母がそんな私の食べ残しを、きれいに食べていたのを思い出す。いま私が、子どもたちが残した魚をつついている。。。母や父を思い出しながら。。。今では、皮までペロリ!

【心からのお願い】感謝を忘れない

【心からのお願い】
命を懸けて、買い物をする間もなく働いてくれる方々が食べるものも買えなかったら・・・この事態に働いていてくれる医療関係者や流通関係者、福祉施設関係者、行政関係者、食料や必需品の生産現場の方々・・・これらの方々は買い物をする間もなく働いていてくれています。どうか、こういう方々に思いを寄せられる人間であってほしいと思います。
もう既に、お店の食料品の品薄が聞こえてきています。「我先に」「自分だけは」と行動してしまうのは自己防衛本能としても仕方のないことだと思いますが、この事態に敢えてお願いしたい。【政府は食料品をはじめ生活必需品は通常の消費をしていれば全く心配ないと】明言しています。
自分以外の沢山の人たちにいきわたるように、どうか思いやりを持った行動をしてほしいと思います。
・・・【今、日本人の真価が問われています】
画像はフリーイラストです。

 

【ありがとうございます。医療関係者に感謝のとき】

【ありがとうございます。医療関係者に感謝のとき】全世界が価値観を見直す時だと思う。いくらお金があっても買えないものもあるのだ。
人間にとっての非常事態。そんな中、自らの命を懸けて仕事に取り組んでいる医療従事者に深く感謝したい。ありがとうございます。私は、そんな方々を心から尊敬します。
画像はフリーイラストです。

【川のお掃除・・・何の得があってやる?】

【日曜日。川のお掃除・・・鮎の遡上に向けて】川を慈しむのは誰の為でもない、自分達のためだ。川が流れ込む海から故郷の川に遡上してくる鮎たち。鮎は川の環境状態を測る重要なバロメーターだ。雨で山の木々が潤い、川が水を運びながら人間の飲み水やその他の生き物を育む。海に戻った水はたくさんの生き物の命の営みの場となり、人間の食を支え、様々な恵みを与えてくれる。人間にできることは、自分たちの命を支えるてくれるそれらの環境に感謝することだ。

 

【わが自治会の自慢(^^)】市民の森

【わが自治会の自慢(^^)】約250世帯ほどの私の住む自治会にあるのが写真の自然の森だ。千葉市から委託を受けて自治会で清掃や美化、環境保全を行っている。今年もまたここに春が来た。きれいに咲いた花の写真を撮っていると、花壇の面倒を見てくれている近く方々と、世間話にもうひとつの花が咲くのだ。

【頭ではなくハラで考える(^^)】

「腹黒い」「腹に一物」「腹が立つ」「腹に落ちる」って言うなぁ【頭ではなくハラで考える(^^)】・・・な~~んて、馬鹿な!?と思われるでしょうね~(^^);理屈や常識、正義感、人間界の真実、などに捕らわれていると、物事が見えなくなるのでは、なんて考えるようになりました。もちろん、脳で考えるのですが、この歳になると「自分の人間としての魂は、いままで学んできた理屈の外にあるんだ」と思うようになりました。別に何かの宗教に入信して溺れたわけではありませんよ~(^^)・・・人間の脳で考える理屈を超えるものがある。それは人間でもなんでも、全てに、それぞれに、あるんだろうな。さて、それでも、今日を生きますよ~~(^^)/

【自分を愛するのであれば、周囲に気遣いを】

【自分を愛するのであれば、周囲に気遣いを】
「とっとと感染しちまえ」 京大准教授、ツイートの思い
https://headlines.yahoo.co.jp/hl…
感染しても気づかないことも多いが、高齢者や弱者は重症化すると命に関わる、という今回のウィルス。厄介なのは、自覚症状がなくても他人に感染(うつ)してしまうこと。また感染の有無に関わらず、ドアノブやつり革、お店の商品など不特定多数が触るものから自分の手を介して他に広げてしまうこと。つまり、知らないうちに「運び屋」になってしまうということ。そこで「な~んだ、感染しても自分には害がないんだ」と考えてしまうのだろう。最近メディアでは若者に向けた自粛要請やメッセージを多く見かける。内容は若者に限ったことではないが、やはり目立つのは若者なのだろう。
TVで繁華街で取材を受ける若者の声を聴いていると、切なくなる。「自分は何ともない」「深く考えていない」「空いているから」・・・まったく他人事なのだ。今だからこそ言いたい。「自分が可愛いなら、まず自分の周囲のことを考えなさい」。今自分が生きている「社会」は、自分が中心のようでいて、実は全く逆である。「社会」とは「親兄弟も含めて他人の集まり」。自分一人では、生まれてくることはもちろん、着るもの、食事、寝る場所に至るまでどうにもならないことを考えてほしい。「遊び道具、遊び場所」も、自分一人ではどうにもならない。さらに、社会人になれば「働く」ことにより「生きるための報酬」を得るが、その報酬を得る職場さえ(経営者でも)、他人がいなければ成り立たず、自分一人の力ではどうにもならない。
今、自分と自分以外の関係を改めて考えてほしい。まずは、身近な家族のこと、友人、職場の同僚、知人。さらには、電車に乗り合わせている他人、今お店で隣に座っている他人・・・。これらの方々に自分がうつし、それが人から人へと広がっていったら・・・。電車で、職場で、お店で、病院で、繁華街で、公園で・・・その中には大切な家族、愛する人、必死に医療現場で働いている方々ももちろん含まれる。
自分を愛する、ということは、他人を愛する・周囲を・環境を愛することと同じなのだと、考えてほしい。どうか、お願いします。

【ふれあい?・・・血だらけのお爺ちゃん、大丈夫だったかな・・・】

【ふれあい・・・血だらけのお爺ちゃん、大丈夫だったかな・・・】 今朝、いつものように歩いていると向こうからお爺ちゃんが一人で杖をついて歩いて来る。近づいて来て顔を見て驚いた。左の顔面が血だらけで、ポタポタと血をしたたらせている。慌てて声を掛けた。「大丈夫ですか、どうしたんですか」「そこで転んだんです」
傷口を見ると、出血している左側頭部あたりに1cmくらい皮膚がめくれた傷があり、中央部には白いものが見える。慌てて傍らの階段に座らせてポケットから新しいティッシュを取り出して傷口に当てた。「ここ、押さえていてください」と言って、次のティッシュを出そうとするのだが、顔や衣服についた血が気になるらしく、傷口から手を離してしまう。「あ、手を放さないで押さえてて」なんて会話しながら、「救急車・警察を呼ぼうかな・・・」と迷った。会話はまともにできる。家の場所を聞いてみたら、同じ町の人だ。名前と電話番号を聞くと、たどたどしいがなんとか聞き出せた。電話をかけると幸いにも家人が出てくれ、事情を説明するとすぐに迎えに来るということだ。なんとか大丈夫そうなので、仕事の約束時間が迫っていたこともあり、心配であったがその場を後にした。あの後、どうなったか心配だなぁ・・・画像はフリーイラストです。

【心配になる安さ!】

【心配になる安さ!】キャンペーンだが、このご時世で、こんなに安くていいの!?と心配になるくらいだ。私は昔も今も、このラーメンが大好きだ。
先週、妻と出かけました。ご馳走様でした。

【班長さんから連絡があり・・・7カ国語対応!】

【班長さんから連絡があり・・・7カ国語対応!】ルールを守らないゴミが置き去りにされている、という。ちょうど休暇で家にいた私は班長さんと現場を確認し、google翻訳を使って日本語、英語、韓国語、中国語、ヒンズー語、タガログ語、ベトナム語で、注意看板を作って掲示し、次回も収集されなかった時の対応を班長さんにお願いした。
日本人か外国人さえも分からない。以前から問題の多いゴミステーションだが、いよいよ本当に防犯カメラを検討しなければならないのか。モラル、マナー、ルール・・・
「ルールとは マナーが腐って 生れ出る」😔

 

【ある朝のふれあい】お母さんの手作りマスク

【ふれあい】今朝、いつものごみ拾いを終えてバスを待っていると、「おはようございます!😀」と元気な子供の声。お母さんと小学生くらいの男の子だ。私は「おはよう!いいねぇ、お母さんとお出かけだね」と応えた。お母さんは白い既製品のマスクだが、男の子はアニメのキャラクターがたくさんの、ハンカチを材料にしたのか、どうやら手作りマスクだ。「おっ、お母さんの手作りマスクだね」。「うん」といってわざわざマスクを外して、自分で眺めている。私はまだマスクを着けていなかったので慌ててポケットから取り出して着けた。あまりに素敵なので、写真を撮らせてもらった。聞けば、私の地域の隣の小学校、今度3年生になるという。母親のさりげない愛情、屈託のない子どもとの会話。朝から、素敵なひとときをいただきました。。。😊


フキの唄・・・足りないもの

NHKラジオ「ひるのいこい」で、吉田拓郎の私が初めて聴く唄が気に留まった。
「足りないものがある」んじゃない
「足りているというこころがない」んじゃなぁ・・・

画像は、ネット転載です。
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吉田拓郎 フキの唄

日々の暮らしの中でふっと息を吸い込むと
人間は果てしない欲張りで
足りないものがあるそこが我慢出来なくて
何もかも手に入れたいと思ってる

僕が子供だった頃日本は貧しくひ弱で
お金もなく肩寄せあって生きていた
物が足りないのはみんな一緒だし普通だし
何よりも平和が大切でありました

僕はフキが大好きです毎日でも食べたくなる
フキは茎だけでなく葉っぱもとてもおいしくて
僕は竹の子も好きです毎日飽きることはなく
柔らかいとこだけでなくかたい根っこのあたりも大好きです

短い旬の味はその季節まで待てばいい
人の世は常に満たされなくていい
何かが足りないからとそれが今ここになくても
大丈夫心が貧しくならなけりや

僕はフキが大好きです毎日でも食べたくなる
フキは茎だけでなく葉っぱもとてもおいしくて
僕は竹の子も好きです毎日飽きることはなく

【花を愛でましょう(^^)】千葉駅

「花いっぱいプロジェクト」ウィルスの影響で大打撃を受けている各種業界。花き業界も例外ではない。
😔アメリカでは深刻な「アジア人差別」だとか・・・。
折しも季節は日本を象徴する桜の季節。せめて、日本人として、心に花を愛でることだけは、忘れないようにしたいですね🥰

【このウィルス危機で、人類は生き方を変える契機にすべき】

【このウィルス危機で、人類は生き方を変える契機にすべき】
世界レベルで拡散したウィルス。命を落とされた方には、ご冥福をお祈りしたい。
物の不足、流通の停滞、工業生産の停滞、経済の停滞、人間の動きの制約・・・。
中国のたった1点から始まった、1万分の1mmほどのウィルスが、世界中をパニックレベルに陥れてしまった。
私はこれを天災とは思わない。「科学と経済」が世界を支配し全能であるかのように驕り切った人類。人類だけが地球を弄ぶ権利があるかのような振る舞い。このウィルスは人類に対する強力な戒めであるように思えてならない。人類を破滅させるのは「戦争や核」でも「環境破壊」でもなかった・・・というより、それらも含めて、際限なく拡大すると思い込んだ科学と経済が呼んだウィルスではないか、とすら思える。今、世界(地球)はバランスを取ろうとしている。
人類は、ここでどうするのか。
1万分の1mmのウィルスを前に、科学やお金は全く役に立たない。いくらお金を積んでも買えない「マスクやティッシュ、トイレットペーパー」など。工場が動かなければ何も生産できない工業。生産ができなければ、全く無力なインターネットの流通やサービス。殆どの人間が直接的・間接的にそれらにかかわっているため、収入に影響することから、モノ不足まで、連鎖的に首が絞められていく・・・。
一方で学校が休校になると、今度は子どもたちが家にいることが問題になる・・・。
戦前の日本人の暮らしや生き方はどうであったろう。私は、この問題で世界の価値観が全く変わってしまえばいいと思っている。
大事なのは、科学やお金ではない・・・。科学や経済は、生身の生物の危機に対し全く無力なのだ。崩れてしまった「バランス」とは何か。今回のウィルスでこのことに気づかなければ、「人類」は遠からず亡びるしかないのだと感じる。
「日本」国内で言えば、あまりに行き過ぎた海外依存や舶来主義がこの危機を助長している。日本人は、もはや日本の自力だけでは生きていけないのだ。モノだけではない。生き様、暮らし様(文化・伝統)までが日本らしさを捨て去り、欧米化の一途を辿ってきた。
いまここで立ち止まり、今までの生き方を総決算して、改めて未来を見つめ直すときなのではないだろうか。
子どもたちを、子孫を、そして自分を愛するのであれば・・・・。
画像は、ネットのフリー素材です。

【いのち、を諦めない】

【いのち、を諦めない】昨年の台風で倒れた桜。つぼみが膨らんできているのを見て「まだ生きている!」重機を使って起こしたら、もう花をつけている!ガンバレ「日本の桜」、頑張れ「ニッポン」!!