【日曜日。川のお掃除・・・鮎の遡上に向けて】川を慈しむのは誰の為でもない、自分達のためだ。川が流れ込む海から故郷の川に遡上してくる鮎たち。鮎は川の環境状態を測る重要なバロメーターだ。雨で山の木々が潤い、川が水を運びながら人間の飲み水やその他の生き物を育む。海に戻った水はたくさんの生き物の命の営みの場となり、人間の食を支え、様々な恵みを与えてくれる。人間にできることは、自分たちの命を支えるてくれるそれらの環境に感謝することだ。
【日曜日。川のお掃除・・・鮎の遡上に向けて】川を慈しむのは誰の為でもない、自分達のためだ。川が流れ込む海から故郷の川に遡上してくる鮎たち。鮎は川の環境状態を測る重要なバロメーターだ。雨で山の木々が潤い、川が水を運びながら人間の飲み水やその他の生き物を育む。海に戻った水はたくさんの生き物の命の営みの場となり、人間の食を支え、様々な恵みを与えてくれる。人間にできることは、自分たちの命を支えるてくれるそれらの環境に感謝することだ。
【わが自治会の自慢(^^)】約250世帯ほどの私の住む自治会にあるのが写真の自然の森だ。千葉市から委託を受けて自治会で清掃や美化、環境保全を行っている。今年もまたここに春が来た。きれいに咲いた花の写真を撮っていると、花壇の面倒を見てくれている近く方々と、世間話にもうひとつの花が咲くのだ。
「腹黒い」「腹に一物」「腹が立つ」「腹に落ちる」って言うなぁ【頭ではなくハラで考える(^^)】・・・な~~んて、馬鹿な!?と思われるでしょうね~(^^);理屈や常識、正義感、人間界の真実、などに捕らわれていると、物事が見えなくなるのでは、なんて考えるようになりました。もちろん、脳で考えるのですが、この歳になると「自分の人間としての魂は、いままで学んできた理屈の外にあるんだ」と思うようになりました。別に何かの宗教に入信して溺れたわけではありませんよ~(^^)・・・人間の脳で考える理屈を超えるものがある。それは人間でもなんでも、全てに、それぞれに、あるんだろうな。さて、それでも、今日を生きますよ~~(^^)/
【自分を愛するのであれば、周囲に気遣いを】
「とっとと感染しちまえ」 京大准教授、ツイートの思い
https://headlines.yahoo.co.jp/hl…
感染しても気づかないことも多いが、高齢者や弱者は重症化すると命に関わる、という今回のウィルス。厄介なのは、自覚症状がなくても他人に感染(うつ)してしまうこと。また感染の有無に関わらず、ドアノブやつり革、お店の商品など不特定多数が触るものから自分の手を介して他に広げてしまうこと。つまり、知らないうちに「運び屋」になってしまうということ。そこで「な~んだ、感染しても自分には害がないんだ」と考えてしまうのだろう。最近メディアでは若者に向けた自粛要請やメッセージを多く見かける。内容は若者に限ったことではないが、やはり目立つのは若者なのだろう。
TVで繁華街で取材を受ける若者の声を聴いていると、切なくなる。「自分は何ともない」「深く考えていない」「空いているから」・・・まったく他人事なのだ。今だからこそ言いたい。「自分が可愛いなら、まず自分の周囲のことを考えなさい」。今自分が生きている「社会」は、自分が中心のようでいて、実は全く逆である。「社会」とは「親兄弟も含めて他人の集まり」。自分一人では、生まれてくることはもちろん、着るもの、食事、寝る場所に至るまでどうにもならないことを考えてほしい。「遊び道具、遊び場所」も、自分一人ではどうにもならない。さらに、社会人になれば「働く」ことにより「生きるための報酬」を得るが、その報酬を得る職場さえ(経営者でも)、他人がいなければ成り立たず、自分一人の力ではどうにもならない。
今、自分と自分以外の関係を改めて考えてほしい。まずは、身近な家族のこと、友人、職場の同僚、知人。さらには、電車に乗り合わせている他人、今お店で隣に座っている他人・・・。これらの方々に自分がうつし、それが人から人へと広がっていったら・・・。電車で、職場で、お店で、病院で、繁華街で、公園で・・・その中には大切な家族、愛する人、必死に医療現場で働いている方々ももちろん含まれる。
自分を愛する、ということは、他人を愛する・周囲を・環境を愛することと同じなのだと、考えてほしい。どうか、お願いします。
【ふれあい・・・血だらけのお爺ちゃん、大丈夫だったかな・・・】 今朝、いつものように歩いていると向こうからお爺ちゃんが一人で杖をついて歩いて来る。近づいて来て顔を見て驚いた。左の顔面が血だらけで、ポタポタと血をしたたらせている。慌てて声を掛けた。「大丈夫ですか、どうしたんですか」「そこで転んだんです」
傷口を見ると、出血している左側頭部あたりに1cmくらい皮膚がめくれた傷があり、中央部には白いものが見える。慌てて傍らの階段に座らせてポケットから新しいティッシュを取り出して傷口に当てた。「ここ、押さえていてください」と言って、次のティッシュを出そうとするのだが、顔や衣服についた血が気になるらしく、傷口から手を離してしまう。「あ、手を放さないで押さえてて」なんて会話しながら、「救急車・警察を呼ぼうかな・・・」と迷った。会話はまともにできる。家の場所を聞いてみたら、同じ町の人だ。名前と電話番号を聞くと、たどたどしいがなんとか聞き出せた。電話をかけると幸いにも家人が出てくれ、事情を説明するとすぐに迎えに来るということだ。なんとか大丈夫そうなので、仕事の約束時間が迫っていたこともあり、心配であったがその場を後にした。あの後、どうなったか心配だなぁ・・・画像はフリーイラストです。
【心配になる安さ!】キャンペーンだが、このご時世で、こんなに安くていいの!?と心配になるくらいだ。私は昔も今も、このラーメンが大好きだ。
先週、妻と出かけました。ご馳走様でした。
【班長さんから連絡があり・・・7カ国語対応!】ルールを守らないゴミが置き去りにされている、という。ちょうど休暇で家にいた私は班長さんと現場を確認し、google翻訳を使って日本語、英語、韓国語、中国語、ヒンズー語、タガログ語、ベトナム語で、注意看板を作って掲示し、次回も収集されなかった時の対応を班長さんにお願いした。
日本人か外国人さえも分からない。以前から問題の多いゴミステーションだが、いよいよ本当に防犯カメラを検討しなければならないのか。モラル、マナー、ルール・・・
「ルールとは マナーが腐って 生れ出る」😔
【ふれあい】今朝、いつものごみ拾いを終えてバスを待っていると、「おはようございます!😀」と元気な子供の声。お母さんと小学生くらいの男の子だ。私は「おはよう!いいねぇ、お母さんとお出かけだね」と応えた。お母さんは白い既製品のマスクだが、男の子はアニメのキャラクターがたくさんの、ハンカチを材料にしたのか、どうやら手作りマスクだ。「おっ、お母さんの手作りマスクだね」。「うん」といってわざわざマスクを外して、自分で眺めている。私はまだマスクを着けていなかったので慌ててポケットから取り出して着けた。あまりに素敵なので、写真を撮らせてもらった。聞けば、私の地域の隣の小学校、今度3年生になるという。母親のさりげない愛情、屈託のない子どもとの会話。朝から、素敵なひとときをいただきました。。。😊
NHKラジオ「ひるのいこい」で、吉田拓郎の私が初めて聴く唄が気に留まった。
「足りないものがある」んじゃない
「足りているというこころがない」んじゃなぁ・・・
画像は、ネット転載です。
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吉田拓郎 フキの唄
日々の暮らしの中でふっと息を吸い込むと
人間は果てしない欲張りで
足りないものがあるそこが我慢出来なくて
何もかも手に入れたいと思ってる
僕が子供だった頃日本は貧しくひ弱で
お金もなく肩寄せあって生きていた
物が足りないのはみんな一緒だし普通だし
何よりも平和が大切でありました
僕はフキが大好きです毎日でも食べたくなる
フキは茎だけでなく葉っぱもとてもおいしくて
僕は竹の子も好きです毎日飽きることはなく
柔らかいとこだけでなくかたい根っこのあたりも大好きです
短い旬の味はその季節まで待てばいい
人の世は常に満たされなくていい
何かが足りないからとそれが今ここになくても
大丈夫心が貧しくならなけりや
僕はフキが大好きです毎日でも食べたくなる
フキは茎だけでなく葉っぱもとてもおいしくて
僕は竹の子も好きです毎日飽きることはなく
「花いっぱいプロジェクト」ウィルスの影響で大打撃を受けている各種業界。花き業界も例外ではない。
😔アメリカでは深刻な「アジア人差別」だとか・・・。
折しも季節は日本を象徴する桜の季節。せめて、日本人として、心に花を愛でることだけは、忘れないようにしたいですね🥰
【このウィルス危機で、人類は生き方を変える契機にすべき】
世界レベルで拡散したウィルス。命を落とされた方には、ご冥福をお祈りしたい。
物の不足、流通の停滞、工業生産の停滞、経済の停滞、人間の動きの制約・・・。
中国のたった1点から始まった、1万分の1mmほどのウィルスが、世界中をパニックレベルに陥れてしまった。
私はこれを天災とは思わない。「科学と経済」が世界を支配し全能であるかのように驕り切った人類。人類だけが地球を弄ぶ権利があるかのような振る舞い。このウィルスは人類に対する強力な戒めであるように思えてならない。人類を破滅させるのは「戦争や核」でも「環境破壊」でもなかった・・・というより、それらも含めて、際限なく拡大すると思い込んだ科学と経済が呼んだウィルスではないか、とすら思える。今、世界(地球)はバランスを取ろうとしている。
人類は、ここでどうするのか。
1万分の1mmのウィルスを前に、科学やお金は全く役に立たない。いくらお金を積んでも買えない「マスクやティッシュ、トイレットペーパー」など。工場が動かなければ何も生産できない工業。生産ができなければ、全く無力なインターネットの流通やサービス。殆どの人間が直接的・間接的にそれらにかかわっているため、収入に影響することから、モノ不足まで、連鎖的に首が絞められていく・・・。
一方で学校が休校になると、今度は子どもたちが家にいることが問題になる・・・。
戦前の日本人の暮らしや生き方はどうであったろう。私は、この問題で世界の価値観が全く変わってしまえばいいと思っている。
大事なのは、科学やお金ではない・・・。科学や経済は、生身の生物の危機に対し全く無力なのだ。崩れてしまった「バランス」とは何か。今回のウィルスでこのことに気づかなければ、「人類」は遠からず亡びるしかないのだと感じる。
「日本」国内で言えば、あまりに行き過ぎた海外依存や舶来主義がこの危機を助長している。日本人は、もはや日本の自力だけでは生きていけないのだ。モノだけではない。生き様、暮らし様(文化・伝統)までが日本らしさを捨て去り、欧米化の一途を辿ってきた。
いまここで立ち止まり、今までの生き方を総決算して、改めて未来を見つめ直すときなのではないだろうか。
子どもたちを、子孫を、そして自分を愛するのであれば・・・・。
画像は、ネットのフリー素材です。
【いのち、を諦めない】昨年の台風で倒れた桜。つぼみが膨らんできているのを見て「まだ生きている!」重機を使って起こしたら、もう花をつけている!ガンバレ「日本の桜」、頑張れ「ニッポン」!!
【世界中の混乱の中、それでも日本の春が来た!】仕事の昼休みに春の陽気に誘われて外に出てみた。今日はワイシャツ腕まくりのままでよかった。公園には家族連れも多数出ていた。電車と違って外では、マスク姿の人の方が少ない・・・あるいは、マスクを外したくてポカポカ陽気に誘われたか・・・
桜、雪柳、海棠、辛夷・・・人間たちのドタバタを他所に、春は確実に来ている(^^)
【人は「自分にできること」をするために生まれてきた】資産家や実業家、俳優や思想家などだけが、選ばれた人間じゃあない。
■1.私はまだ観ていないが、謙さん、映画『Fukushima50』に主演しているらしい。ネット記事(BuzzFeed News)を見て、感銘を受けた。さすが、堂々の生き方だなぁ(^^)/
BuzzFeed News より—・・・2013年11月からは震災で甚大な被害を受けた地域の1つ、気仙沼に「K-port」というカフェを構えている。
「僕に莫大な資金力があれば別ですよ?でも、そんな資金力もない中で、僕の持つ力が最大限かつ持続的に届けられる方法は一体何かを考えた。その答えが、今の東北への関わり方です」このスペースでは時折、ライブやトークショーを開催している。
「お金をたくさん送って、あとは自由にやっていただくという形もなくはないでしょう。でも、僕にできることは所詮、エンターテインメントなんですよ。箱を作って終わり、という関わり方では意味がない」
「いまだに処理水の問題でさらなる風評被害が発生することが懸念されているように、あの事故は決して終わってはいない。終わっていないというより、まだ解決へ向けた入り口に差し掛かったばかり、と言った方が正確かもしれない」
だから渡辺は、あえて苦言を呈す。
「そんな中でね、東日本大震災という出来事が思い出のような形で語られすぎているような気が僕にはするんですよ」
「ポジティブすぎる言い方に聞こえてしまうかもしれません。でも、僕はこのタイミングで改めてあの時、福島で何が起きていたのかを伝え、賛否を巻き起こすことに意味がある、そう考えました」・・・—BuzzFeed News より
■2.小学5年生が背負った重い十字架。これは、大人でも重すぎる・・・それでも・・・
BuzzFeed News より—・・・買ったばかりの靴があったので、それに履き替えようと思い立った。昇降口まで取りに戻ると、黒い水が流れ込んできていた。横からは大きな波が押し寄せる。目の前で大人が5人、津波にさらわれた。1人の男性が雁部さんに向かい手を伸ばした。「その手を掴んだら、自分も死んでしまう」。そう直感し、手を伸ばすことができなかった。男性は波に飲まれていく。目をそらして、雁部さんは階段を駆け上がった。
「なぜ語り続けるのか」。様々な人にそう問われる。そのたび「社会のために語り部として語ってきたわけではない」と伝えてきた。
あの出来事を自分なりに処理するため。それが本心だ。語ることでしか、震災で目にしたことを整理することができなかったと口にする。
あの日から9年、まだ処理できたものは「1割にも満たない」。
節目で出した本、その意味は?
「災害について節目だけで伝えることに批判があるとは思います。ですが、節目だけでも伝えることに意味はある」
「節目ですら伝えなくなったら、誰が思い出すのか?誰が伝えるのか?だから僕は『16歳の語り部』という本が節目に出された典型的な震災ものの本として消費されても構わないと思ったんです」
「結果的に消費されたとしても、読んだという事実、伝わったという事実は残る」、そう信じる。・・・—BuzzFeed News より
■五十嵐:資産家や俳優、特殊体験者(被災者など)、思想家、など、特別な人間のすることだ、と考える向きも多いだろう。
だが私はそうは思わない。誰かの陰に隠れて用意された石を投げる人間よりも、石をぶつけられることになっても、一人の人間として、日の当たる場所から、自分以外の為に自分ができる限りのことをしたいと思う。それが、一人の人間として生を授かった恩返しにつながると信じて・・・。