【あま~~いシブ柿!】
仲間がくれたシブ柿です。これがまた、甘~~~い!知っている人は知っている。このように完熟すると、シブ柿は甘柿より甘いんです。あのあま~~い干し柿もシブ柿から作ります。見てください、中はもうジャムのようにトロ~~~リ。子どもの頃は、雪が降る頃になっても枝についている柿の実を食べたものです ^^)
そうそう、これが本物の「柿の種」。食べたことはありませんが、辛くはないでしょう(^^)・・・新潟の浪花屋の柿の種は「元祖」ですが、こちらは「本物」です(^^)
【千葉市中央区で週末だけの百姓】
土曜・日曜は週末だけの農作業。来年に向けて、田起こしでした。古いトラクターを私たちのNPOに譲り受けたものですが、まだまだ充分使えるのです。昔のことで、田舎の山間の段々田んぼでは手作業や耕運機でしたので、これだけ大きなトラクターは初めての運転。疲れた~~(^^)
【貧乏人哀歌】母のしぐさ
母を田舎から連れてきた時の切ない想いでした・・
<ご飯粒 茶わんにお茶で 飲み込んで ウマイウマイの 母に幸あれ>
グランドに沁みこんだもの【2,422日目のつぼやき】
アブナイ!(+_+)【臨時つぼやき】
昼過ぎに千葉駅でバス待ちをしていた。右手からバスが近づいてきた。突然、右手のバス待ち行列の歩道の背後から、若者が乗った自転車が車道に出てバスの前へ!アブナイ!!幸い、ブレーキはまだ間に合うタイミングであったから、大事には至らなかった。短くクラクションを鳴らしたバスに向かって、行き去ろうとする若者が振り向き様に「バ~~~~カッ!」・・・・・私は唖然としてしまった・・・これが今の日本の「品格」なのだ。表面を取り繕ってはイケナイ。そして、これは決してこの若者の責任ではない、ということだと思う・・・。
【2,420日目のつぼやき・子らには夢を】
今朝も空が高い秋晴れ。故郷の空を想いつつポチポチと。中学校の入り口にある記念樹。昭和58年(32年前)に当時の太洋ホエールズ(現DeNA)に入団した、この中学校の先輩から贈られたものだ。非行やいじめ云々と言われる今の子育てや教育の諸問題だが、その処方のキーワードが「子ども達の夢・目標」だと思う。時間が足りないと急く大人、時間を持て余していることに気付かない子ども。さらなる万能薬の処方のキーワードは「足るを知る」であろう。ノーベル賞受賞のお二人には拍手喝采である。
[2,418日目のつぼやき]ノーヘルのオートバイ軍団に一言
[2,418日目のつぼやき]昨日の朝。ノーヘル3台のオートバイが爆音を轟かせて近付いてくる。頭を指差して注意すると先頭の一台はコクンと頷いたが止まりはしなかった。高校生くらいの見た顔だ。。。群れるな、命を粗末にするな、自分の可能性を自分で閉ざすな!
中央区ふるさとまつり
おはようございます。本日は千葉市民の日[中央区ふるさとまつり]です。きぼーる会場でお手伝いです。メイン会場は中央公園です。スタンプラリーもあります。みなさん遊びに来てくださいね〜
かあちゃん、恋し・・
【寒かろう 毛布一枚母に足す 気付けば我に 戻るぬくもり】
今は亡き母が一人になり、我が家で同居していたころの一首です。夜中に母に掛けてやった毛布が、気付けばいつのまにか私に戻っている。いくつになっても、認知症になっても、母親は母親でした。
【雨の日のつぼやき「マイナンバー騒動」】
以前は別の意味で反対が強かった国民総背番号制ですが、今回はなぜか個人情報の保護が議論の中心にありそうです。個人のプライバシー情報を悪用する者が最も悪いことは確かですが、個人情報保護法を盾にしてしまい、自身の影まで消してしまう危険性に気付かなければいけません。一人の人間がこの世に生を受け生きた証が、無機質な番号(マイナンバー)でしか表せない「お役所の名簿の中だけ」なんてことにならないように気を付けたいものですねぇ(^^)
【2,417日目のつぼやき】国勢調査で邪険(じゃけん)にされる?
(写真は、今朝の中学校のグランドの様子です。本文とは関係ありません)
日本は、どこかの国のように「人口も正確につかめない」ような国になってしまうのでしょうか?
私は、今の日本人は自分で自分の首を絞めているようで、切なくなるのです(;_;)
—–今回、2度目の国勢調査の指導員を務めています。担当調査地区の8人の調査員の方々のサポートをするのですが、問題やトラブルがあれば同行して調査への協力をお願いすることもあります。※そもそも調査員や指導員は行政の職員ではなく、地元で推薦された同じ地域の住人です。※
それにしても、「国勢調査」への協力意識が低いのには呆れます。国(お役所)がやることだからか、敵意?丸出しの方や、「個人情報ナントカ法」を盾にとられて散々なイジメ?にあうことも・・。…
国勢調査の成功の如何は、そのまま国家の品格だと思うのです。
調査項目を見ればわかりますが、住居形態、居住年数、家族構成、年齢、国籍、就業・就学状況など、基本的なことを調査するものです。これがまともにできない国家は、極論すれば「お隣にどんな輩が住んでいるかわからない」ような怖い国、といってもいいでしょう。
調査を拒否したり、無視したりする(罰則の対象になります)国民が多いほど、国勢が混とんとしたものになり、法治国家として国全体の統制に必要な基本的で重要な情報が掴めなくなるのです。—–
【子ども達の未来の為に、しっかりとした品格ある国を遺したいものです】
吐き捨てガムが38個!【2,416日目のつぼやき】
地元が終わった後、千葉駅前のごみ拾いでした。禁煙ゾーンのポイ捨て吸い殻は相変わらず。サラミソーセージの食べかけがポイ・・・。吐き捨てガムを拾いながら数えてみたら、なんと38個!!
外国人観光客が「日本はゴミが少なくてきれい」と評するらしいが、それは外国人が好む手入れが行き届いた一部の観光地だけでは?残念ながら、これが本当の日本の姿です、と謝りたくなってしまいます(;_;)
【町のやさしさ】
カラスがごみ置き場を散らかせば、見つけた近所の人たちが一人、二人とほうきを持って集まってくる。子ども達が通る路地には、手作りの交通安全の看板。これが、地域のやさしさですね。感謝です。
こんなの着てやってます【今日は千葉駅前のごみ拾いです】
【葉っぱのフレディ】2,415日目のつぼやき
中学校グランドの朝練の様子です。グランド脇の欅(けやき)の木も、そろそろ葉っぱを落とし始め、冬の準備を始めています。虫に食われ穴の開いた葉っぱ、茶色い葉っぱ、黄色い葉っぱ、まだ青い葉っぱ・・。少し前に流行った絵本「葉っぱのフレディ」を思い出しました。それは意味深く、大人にも感銘を与えるものでした。
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冬が去り春が来て、ある大木の枝に生まれた沢山の葉っぱの中の1枚「フレディ」は同じ歳の仲間たちと春・夏を謳歌します。やがて秋が来て、仲間たちは少しづつその色を変え、ついには枯れて散り始めます。フレディはやがて自分にも来るであろう最後のときに恐れおののきます。ぼくは生まれてきてよかったのだろうか。親友のダニエルが答えます。「ぼくらは春から冬までよく働いたしよく遊んだ。まわりには月や太陽や星がいた。雨や風もいた。人間に木かげを作ったり、秋には鮮やかに紅葉してみんなの目を楽しませた。それはどんなに楽しくどんなに幸せだったことだろう。」・・・そして、ついに最後の一枚にな…ったフレディはある朝、静かに枝を離れます。ゆっくりと散ってゆくそのとき、始めて自分が育った枝を支えていた大木の、太く立派な幹と木の全体の姿を見たのです。なんてがっしりしたたくましい木なのでしょう。これならいつまでも生きつづけるにちがいありません。フレディは”いのち”ということばを思い出しました。”いのち”というのは、永遠に生きているのだ・・・。
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冬が終わると春が来て、散った枯れ葉は虫の幼虫やミミズなどにより分解され、雨水にまじり土に溶けこんで木や草花を育てる力になります。そして人間をはじめとする動物たちの命を育む酸素を生み出してくれるのです。”いのち”は目には見えないところで循環しているのです。
・・・人間の命は水には溶けませんが、同じ人間に溶け込みます。まったく同じですね(^^)
【聖域なんでしょうか?この話】お布施について(´・ω・`)
既に父と母を亡くしている私ですが、喪主を故郷と千葉で2度経験して、しみじみ思ったことがあります。地方と関東のお布施の相場?の格差についてです。(10倍~20倍?)そもそもお布施とは『施す』ことですから、メニューも定価もないはずです。 ネットで調べてみました→『仏教でいう布施とは、自分の持てるものを、できるだけ他人に施しすることです。 法事 や葬儀のときのお寺へのお礼は、すべてお布施となります。 本来お布施は、何かの行為 に対する対価ではなく、取られるものでもなく、喜んで仏さまに差し出すものです。』
都会では葬儀の際に、導師様(僧侶、お坊さん)に問えば読経や戒名の対価?として平然と〇十万円です、と答えます。(これは、葬儀社経由であったりしますが。)都会と地方では、僧侶の格?が違うのでしょうか?ところが最近は、都会の葬儀でお坊さんの説教すら聞くことが少なくなっています。私の関わっている故郷の葬儀や法事では、そのたびに深い感銘を受けるお説教を戴くことができます。故人の生前の生き方に触れたり、仏の教えを分かりやすく説いてくれます。ご詠歌を聞き、涙したこともあります。
都会では、先にお布施を受け取り、読経が終わると(葬儀場やスケジュールの関係もあるのでしょうが)さっさと帰ってしまう導師様が多いような気がします。まあ、結局それも、私のお布施の額が足りなかったからかもしれませんが(^^);・・・
お坊さんのお説教によって教え諭され、ありがたく深い感銘を受けられるなら、故人や遺族も救われるでしょうし、決してお布施についてこのようなことを言うこともなかったと思いますが・・<m(__)m>
【町を元気にする商売】
写真は我が町の「元気」で「こだわりのパン」屋「フレンドベーカリー」さんです。私自身はお店を出すような商売ではないのですが(それでも以前、パソコン教室を開いていました)、地元の商店会に加入しています。千葉市と言っても中心部を離れれば地域の商店の課題は一緒で、後継ぎがいない、大手に客を取られる、住民の高齢化率が高い・・・等々。しかし、町のお祭りなどには商店会の力が必要不可欠なのも確かです。以前は町の活気はそのまま商店の活気でした。商店会の青年部(いまでは青年=若い、ではありませんが)に所属していますが、なんとか街を元気にできないかと、仲間たちと思案しています。私たちは、自分の商売の前に、なんとか町を元気にしたいと悩んでいるのです。みなさん、今一度、地元商店の果たしてきた役割に目を向けるとともに、地域の行事、伝統、文化を一緒に考えてみてもらえませんか?私たちは、商売の前に人の子であり親であり、町の住人なのです。
【今日のお昼、NHKラジオでこんな歌が流れていました】
・・生まれなくてよかった命など、ないですよね。
私は母や父を抱きしめたい、と思ったことがあっただろうか・・
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私が生まれた日 歌・詞・曲:山崎ハコ
生まれたその日は どんな花が咲いてたの
私の回りに 誰が居たの
どんな風が吹いて どんな鳥が鳴いた
どんな朝を迎えたの 喜びの雨・あらし
男と女が出会い ときめいて
私のルーツは愛よ そうよね
生まれたその時 どんな涙流したの
誰かのその頬 濡らす天使たち
もしもできるならば 母を抱きしめたい
どんな時が流れても この日だけは忘れなく
男と女もこんなふうに生まれたの
私のルーツは愛よ そうよね
私のルーツは愛よ そうよね
伝統と文化の国、ニッポン!・・・が危ない・・・
昨夜、渡辺謙がNHKに出てたなぁ・・堅くて面倒くさい話ですが・・本当に自分は日本を解っているのかなぁ。日本が日本でなくなるとき、それを平和と呼べるのかなぁ・・。
渡辺謙がナビゲータ役の昨夜のNHKスペシャル「私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」を見て、相当へこんでしまった自分がいます。
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<・・略>日本人は大きな渦の中にいると我を忘れてしまい、その中にいることを喜ぶところがあります。「仕方がないから、自分も同じことをやろう」と。
谷崎潤一郎先生は、戦争の熱狂の中、「戦争、戦争」というようなことではなく、美しい言葉、美しい小説、美しい庭・・これが本当の日本だと分かるように、記録を残しておきたいと考えたのではないでしょうか。<・・略・・>
私は、だいたいにおいて日本は良い方に来たと思います。しかし、自分たちの伝統に興味が無いということは、ひとつの弱点だと思います。いちばん良いことは、過去のものの良さを勉強して知るようになって、自分のものにして、自分がそういうものから特別な愉しみを得ること。
伝統はときどき隠れている。見えなくなる。しかし流れています。続いています。それは日本の一番の魅力です。
<・・略・・>時代に決して流されることなく、自分の信じる道を歩み続けた谷崎潤一郎先生。その姿こそ、日本人の素晴らしい生き方として皆様に知っていただきたい」
<・・略>
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そして大震災の翌年(平成24年)、日本国籍を取得したドナルド・キーン氏の最後の言葉が忘れられません。
「外国人の大部分は、日本を逃げた。私は違います。日本を信じます」
・・・信じるに値する日本なんだろうか・・・