みんな間違いなく【幸せになれるおまじない】

2,410日目のつぼやき・・・ときどき玄関に並んだ靴をみつめてみませんか、自分の歴史として。
これ、本当です。私も10年以上前から実践し、いまでは完全に納得しています。
やることは簡単。お家の玄関の靴を揃えてみてください。(写真は我が家の様子です<m(__)m>)自分が出入りするときなどに、ひたすら黙って家族全員の靴を揃えます。これを、半年、1年、2年・・・ひたすら、黙って、続けます。諦めてはいけません。
はい、たったこれだけです。ご存知の方も多いと思います。
これは、玄関で靴を脱ぐ、という日本独特(他にもあるようですが)の文化に関わりますが、その発祥や賛否はさておいて、脱いだ後の「はきものをそろえる」という作法のもつ道徳的な意味合いがものすごく深いのです。
ここでは意味合いについては語りませんが、「世界平和」さえ実現できる底知れない力を持っていると思います。
自分で続けてみれば気付きます。また、自分で気付くことにこそ大きな意味があります。
さあ、みんなで幸せ探しをしてみませんか(^^)
※私が始めたきっかけは、長野県にある円福寺のご住職であった藤本幸邦和尚が(今から60年近く前に)つくられた詩「はきものをそろえる」に出会ってからです。有名な詩らしいですね。(以下)
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「はきものをそろえる」
はきものをそろえると心もそろう 心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと 世界中の人の心もそろうでしょう
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【町のやさしさ】2,409日目のつぼやき

いつもゴミなどの写真で、私の住む町が相当ひどい町だと思われるのもなんなんで・・(^^);今日は、良いところを。もう50年近くも続いているという、街角での交通安全の見守り活動。PTAや町のボランティアの方々が、毎日、交代で子らを見守ってくれています。これも、子ども達の「原風景」のワンシーンになっているハズ、です。大人になり、どこかで思い出してくれることでしょう。一方で、ご覧のように心無いイタズラで、横断旗を故意に壊してしまう輩も・・・。

【一生モンの通学みち】2,408日目のつぼやき

桜が咲き、チューリップが歌い、ツツジが群れ、蝶が舞う。夏グミの実を食べながら、彼方に入道雲が光る。ヘビやトカゲが横切り、蝉の声が降る。昼寝をするとヒグラシの声と夕げの気配で目覚める。蛍が舞う夏の、天の川が流れる夜、父母と鎮守の祭りにワクワクと歩く。台風が去ってスッキリと掃除された紺碧の空。父母が稲刈りをする田の畔に寝ころび、高く真っ青な空を背景に群れ飛ぶ赤とんぼを眺める。あけびと山ぶどうが取れる秘密の隠れ家。紅葉が彩る山を背に、オレンジの柿の実を取って喰う。木枯らしが吹き、枯れ葉がつむじを巻く。静寂の音で目覚める初雪の朝。遥かな山の峰々までキンと透き通った正月の朝。鼻毛もツンツンと痛い厳冬のダイヤモンドダストのキラキラ。緩み始めた雪が凍り付いた朝、凍み渡りで遥かな山の頂上まで長靴のまま駆け上った日曜の朝。雪に埋もれて黙っていた小川のせせらぎが囁きはじめ、水仙が咲き、フキノトウが顔を出しはじめる。やがてツクシん坊がぴょこんとこんにちは。田んぼには融雪の灰が撒かれ、白い季節が終わる。
これが私の原風景。そんな四季の道を、友と学校に通った。子らの通学路が汚れていてはならない。邪鬼によって踏みにじられてはならない。だから、今日もゴミを拾い、子らや町の大人に「おはよう」を言う。

【新潟コシヒカリ新米2015】

今年も故郷から送っていただいて、美味しくいただいています。まず輝きが違います。そして、立ち上る湯気とともにふんわりとくる香り。口の中で広がるほのかな甘みと豊かな風味。付け合わせなどいらないくらいですが、一応、明太子と鯵のひらき・・あ~~~日本人でよかった・・・。従兄(父親の姉のご長男夫妻)から送っていただいたものです。仏壇の伯母さんの写真に手を合わせ、様々なご縁に感謝しました。火打石を山に向かって打って毎日祈っていた、背ぼんこのおばあちゃんの丸い背中やおじいちゃんの顔が頭をよぎりました。

【最新鋭もみすり機】

10月4日。今年も大地のめぐみをいただきました。5期目となる稲作も無事終了(^^);
今年も、最新鋭の機器を使って、子ども達に貴重な体験をしてもらいました。大地の恵みに感謝です。土、水、草、木、空気、日光、昆虫、鳥・・・。すべてが繋がっていて必要不可欠。人間はその恩恵にあずかっています。子ども達の未来につなぐ環境を考えたいものです。

遠い記憶【村の鎮守のアリジゴク】2,406日目のつぼやき

昨日は発達した低気圧の影響で、千葉市でも強風が吹き荒れた。そんな日の翌朝は、あちこちにごみの吹き溜まりができ、結構難儀する。県道沿いの空き家の軒先にダンボールが飛ばされていた。畳めば、なんとか袋に収まりそうだ。この空き家の軒下には「アリジゴク」がある。最近あまり見かけないので、写真を撮った。「アリジゴク」といえば、子どもの頃、村の鎮守(2012年、帰省した時の魚沼市田小屋の鎮守様の写真)の縁の下に沢山あって、棒や指でチョンチョンと掘り返したり、アリが落ちたときの様子を観察して遊んだものだ。帰省すると、墓参りのついでにこの鎮守様によく立ち寄る。今では訪れる人も年に何人いるだろう。中越地震で崩落した狛犬や灯篭は、だれも台座に戻せるものではなく、地べたに鎮座させるのが精いっぱいで、そのままになっている。それでも、せっせと体の動くうちは、と、屋根やあちこちの修復をしてくれていた親戚の「勇彦さん」も数年前に他界してしまった。荒れ果てた光景を見ると、少なからず心の痛みを感じる。灯篭には、先々々代の「五十嵐勘四郎」の名前が掘ってあることは知っていたが(写真)、これを見るたびにさらなる自責の念に駆られる。これを寄進した先祖の思いとは・・。子どもの頃は、こんな猫の額ほどの鎮守の、年に一度の夏祭りを心待ちにし、その夜は父・母と一緒に出かけ、喜々として赤土でツルツルと滑る急な坂道を駆け上がったものだ。たった一軒の夜店で買ってもらうお面や紙巻火薬のピストルと火薬の燃えた匂い、シャボン玉。梨は長十郎に二十世紀。ブドウは・・ベリーA??。今は遠い、切ない思い出でしかない。昨日、NHKで「消えゆく祭り いま何が」という特集があった。耳が痛い内容であったが、私なりに何ができるのか、考えてみたいと思った。

【ホームランボール?】2,404日目のつぼやき。

今朝拾ったもの・・
いつものように中学校のグランドで朝練の子ども達とパワー交換。その帰り道、学校前の道路の向う側に軟式野球のボールが・・。昨日の朝はなかったから、どうやら、昨日放課後の部活か、今朝の練習中に飛んできたものだろう。場所から考えて、ホームランではなく、特大のファールだ。通行人や車に当たらなくてよかったと思った。思い出したことがある。我が息子がこの学校の野球部だったころ、やはりファールボールが近くの民家の屋根をときどき直撃するので、クレームが出たことがあった。菓子折りを持ってお詫びに行ったものだ。ファールでもホームランでも・・子らが思いっきりプレーできる環境を、それを見守る大人の立場で、できる限り作ってやりたいと思ったものだ。今日拾ったもの・・軟式野球ボール、バナナの皮、果物ナイフ、秋のかけら(キンモクセイの花びら。これは拾いきれませんでした)、その他・・。

【妻との性格の違いが露見!(^^)!】

2,402日目のつぼやき
インスタントのドリップコーヒーを妻が購入。フィルターとコーヒー豆がセットになって40組。ところが、最後に、フィルターが一つ残ってしまったらしい。私は迷いなく「フィルターが一つ多かったんだぁ。得したじゃない」。。。妻曰く「コーヒー豆が一つ足りなかったと思うワ。ソンした!」みなさん、この違い、どう思います~~
お後がよろしいようで・・楽天イガラシでした~~(^^)/

【ジュン君の自由研究】

ジュン君の夏休みの自由研究がアース(地球)より最優秀賞「いつまでもきれいな目で見ていてね」賞を受賞!!
この夏休みに、一緒にごみ拾いをしてくれたジュン君が、素敵な賞を受賞しました。アースは、「君たちの目が曇らなければ、ダイジョウブ!!」と励ましてくれました。

【私の尊敬する先輩夫婦の金婚】

ホッコリしますねぇ、ごらんの写真に隠された素敵なメッセージ、みなさん、わかりますか?
昨夜は、私がお世話になり、尊敬する先輩ご夫妻のお家でちょっと一杯。リビングに飾ってあるずっと以前から気になっていたご夫妻の若いころの写真パネルをパチリ。そして今年金婚を迎えたご夫妻に、息子さんご夫婦から贈られた色紙もパチリ。この色紙、ちょっとしたシャレごころが隠されています。私がこうありたい、という夫婦・親子の理想像です。感謝です。

【猫じゃらしの秋】子猫を捨てた?・・2,400日目のつぼやき

「猫」というと頭をよぎる幼いころの辛く貴重な経験がある。過疎の村の百姓家に生まれた私だが、暮らしぶりはどこの家も似たり寄ったり。当時は家にネズミがいるのは当たり前で、農家にとってネズミは作物を食い荒らす害獣以外の何物でもなく、それを捕って喰うのが「家族としての」猫に与えられた「仕事」であった。その猫だが、子どもを産んだ時に人間の子どもに与えられる辛いお勉めがあった。なんと、大人たちは「箱に入れて、川に捨ててこい」と命令するのだ。ネズミ取りの仕事をしなければならない猫だが「人間の食い扶持(くいぶち)」も余裕などない貧しい生活だ。猫には煮干しを噛み潰してご飯に混ぜ(ネズミを捕るように)最低限の食事を与えるのも、子どもの仕事であった。
【猫は人間と一体になって命を分かち合って生きていたのだ】
ミャーミャーと鳴く、生まれて間もない子猫を3匹・4匹と段ボール箱に入れ、家の近くの沢にかかる橋の上から投げ入れるのだが、そのときの心境は表現しがたい。箱のふたを閉じることができずに、少し開けて投げ入れたのを憶えている。
「ペット」と表現される今の小動物たちだが、その使命、その命の尊さの捉え方は随分と変わったように思う。この豊かな時代に、「人間の心を癒す」という、昔とは別の使命を担った小さな命たち。飼えなくなった、飽きた、などの理由で、ペットが捨てられる世の中。幼かった私が、箱のふたを開けて子猫を川に投げ入れたことと、同じなのだろうか・・大人たちは、何を教えたかったのか・・。後悔と自戒の念は今でも心に沈殿している。
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【2,399日目のつぼやき】遅咲き・早咲き?

9月23日。中学校の校舎に沿って植えてある錦糸梅(一般的には5~6月の花)が、なぜか1輪だけ今咲いています(写真1枚目)。多くは花が終わると、真っ黒な種?(写真2枚目)になるんですが・・。花が咲く時期は皆違っていいんですよね・・子ども達も、大人も(^^)
下手な一首【小春日に 学舎に咲いた 錦糸梅 遅く咲いたか 咲き急いだか】

きんもくせいのかおり

我が家の金木犀(きんもくせい)が香り出しました。妻は数日前からと言いますが、私は今朝からでした。
へたな一句<m(__)m>
【木犀の 香り立つ日を 妻と居る】

長寿を祝って・・・地区敬老祝賀会

9月20日(日)
地元松ケ丘中学校地区の敬老祝賀会でした。
今年は、地区内の高齢者(75歳以上)が1,912人ということでした。その内、祝賀会に参加された方はおよそ400人。
出席された方の最高齢は100歳の方で、市長から表彰状を受け取りました。
万歳三唱のあと、三味線や日本舞踊、すっかりお馴染みになったコーラスグループ「アンダンテ」の懐かしい歌の数々を皆で口ずさみながら、楽しい時間を過ごしました。
戦争の焼土から、現在のこの豊かな日本を築いてくれた先輩方に、こころから感謝の意を表します。

【山に向かってカチカチ!背ぼんこ婆ちゃんの背中】

雨の日の「つぼやき」・・ガチガチの持論(自論)<m(__)m>
50年以上昔・・私は、今は市町村合併でなくなってしまった新潟の過疎の村の、田小屋という山間の集落で生まれ、少年時代を過ごした。テレビが「来た」ことが記憶にあるような時代である。貧しい(なんて当時は思ってもいなかったが)百姓家では当たり前だが、野良仕事で忙しい母に代わって、私は婆ちゃん(父の母親)に面倒を見てもらった。その婆ちゃんが毎朝、欠かさずにしていたことがあった。それは、父母が家からさらに山間にある田畑へ野良仕事に出かけた後に、必ず行う儀式であった。婆ちゃんは父(長男)母が向かった山や、嫁に行った娘たち、都会に出た次男の方角の山々に向かって「火打石」をカチカチと打ち鳴らし、手を合わせて祈っていた。毎日毎日、その儀式を繰り返す背ぼんこの婆ちゃんの背中を、ただ無心に見つめていた自分がいた。そして・・今は分かる。婆ちゃんの気持ちが。どんな「お守り」よりも強く、清らかで、優しく、そして重たく、深い「子を思う母親の愛」がそこにはあったのだ。
無信仰で無学な私だが、そんな婆ちゃんの背中から自分で導き出し、たどり着いた理念がある。
〇神とは畏怖の念を持って崇めるもの。即ちそれは、人知の及ばない、まさに祈りの対象となるもので『宇宙・大自然』である。<婆ちゃんは直接は何もしてやれない代わりに、一心不乱に、毎朝、山に向かって子ども達の安泰を願い、祈っていたのだ。>
〇宗教とは人間が作り出したもので、人間が学ぶべきもの、教え諭されるもの、人間の力が及ぶ道理の世界であり、人類が積み上げてきたいわば「ノウハウ集」である。<婆ちゃんは毎日、仏壇に向かってお経や念仏を唱えていた。婆ちゃんがどこまで経典を理解していたかは分からないが、自分自身を戒め律するために日々努めていたものと思われる>
〇結局、私なりに理解したのは【日本人の私にとって「神道」(=空や山や川、海などの大自然)が神であり、「仏教」が宗教であり祖先であり、先生なのである。】
婆ちゃんの背中は、これら総てを私に教えてくれていたのだ。【写真は(先に亡くなった)お爺ちゃん・お婆ちゃんの遺影です】
<追伸>
私は
、宗教の違いで争うこと(宗教戦争)は勘違いも甚だしく、また、領土や資源などの利得で争うことも、人間が大自然の一部であることを忘れた、傲慢で驕った醜い所業だと考えている。
人間は戦争や科学によって、人間が存続するに不可欠な大自然や生態系を壊し、自分の首を絞めていることに気付かねばならない。

【NHKメダカは順調に増えています】

2005年にNHKの「ご近所の底力」に「メダカの復活」をテーマに出演しましたが、その後も、地元の都川のメダカは順調に増えています。2009年に、町のボランティアの方々と地元小学校の近くの荒地を開墾して作った田んぼとメダカ池は今も健在です。そして、一昨日、小学校の子ども達(5年生)と今年の稲刈りを行いました。【子ども達の未来につなぐ環境を考えよう】

ノーヘル二人乗り2台。交差点で注意【2,393日目のつぶやき】

昨日、いつものようにゴミを拾いながら歩いていると、トップマートの交差点の赤信号で爆音を響かせて停車している2台のノーヘル二人乗りオートバイの若者に遭遇。どうやら高校生くらいの年頃だ。近づいて行って頭を指さし「ヘルメットはどうした!事故にあってからでは遅いぞ!」と叫んだ。「おれはお前たちと同じころ、ノーヘルで仲間を事故で亡くしたんだ。命を大切にしろ!」あまりの私の勢いに驚いたのか、強がる風でも、歯向かってくる様子もなく、うなずいていた。そう・・・命は二つとないのだ。そして、命は、自分だけのものではないのだ。頼むから、早く気付いてくれ・・。

【立てる、歩ける幸せ】敬老会

自分の親にはいつまでもそうであってほしい。認知症でもあきらめてはいけません。この平和な日本を繋いできてくれた先輩に感謝・・・昨日(9月13日)は、私の母が生前お世話になり、今も私が家族会会長を務める特別養護老人ホーム「あかいの郷」の敬老会でした。この施設は自立支援に力を入れ、全国でも数少ない「オムツゼロ」を達成した施設です。自力で立つ、自力で歩く、自分の意思で排泄する、自分で食べる、歌う、笑う、泣く、読む、書く・・・・。若く、健康な人にとって当たり前のことが、いかに大切で尊いことか。ご覧ください。歩行器を使って自分で立って歩く訓練に力を入れた成果を。家族や周囲が諦めてはいけません。たとえ認知症でも、諦めてはいけません。こうやって訓練をすることにより、進行を遅らせることができるのです。

つぶやき【タバコを吸う方、お酒を飲む方、肩身が狭いのでは?】

自分自身も10年位前まではタバコを吸っていたので、よくわかるのだが・・・。都市部では今や分煙は当たり前。禁煙条例を定めている自治体も珍しくない。ごみ拾いで一番多いのはタバコの吸い殻(駅ではガム)である。タバコは煙や匂いが嫌われ邪魔者扱いされているようだが、愛煙家はさぞかし肩身が狭いのではないだろうか。只でさえそうなのに、吸い殻や空き箱がポイ捨てされ、その罪まで押し付けられては、真面目な愛煙家にとってはさぞかし迷惑な話だろう。しかし、これは酒飲みにも当てはまる。アルコール類の空き缶や空き瓶がポイ捨てされたり、飲酒でトラブルが報道されたりすると、愛飲家総てが白い目で見られているようで・・・。う~~~ん、愛飲家としては自戒せねばならないんだろうなぁ(;_;)

子どもたちの未来へつなぐ