【あいさつはパワーの交換!?】2,376日目のつぶやき

13年、毎朝続けているごみ拾い&あいさつ活動であるが、挨拶のできない大人たちが多いのは残念でならない。毎日声をかけているのだが、かたくなに返事を返してくれない(無視される)大人も多い。子ども達はほぼ100%返してくれる。腹がたつこともあるが、様々な事情があるのだろう、と思い直してみる。私たちは礼儀として挨拶を教わるが、もう一つの側面があると思う。挨拶や声掛けは、相手を思いやり、パワーを送る「心のふれあい」なのだと思っている。心の感じられる挨拶や返事をいただくと、こちらも元気になり、こんどは、その元気を誰かにあげたくなってくる。毎朝のコースとして通学路や中学校のグランド(朝練の真っ最中)を通るが、練習中の子ども達の合唱で「オハヨウゴザイマス!」をもらうと、本当に元気になる!さあ、今日も皆さんにもらったパワーを配らねばならない!!
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【お金の価値】2,376日目のつぶやき<色即是空・空即是色>ニャンコ友達ができました~~(^^♪

今朝、いつものコースの資源ごみ置き場で1円玉を拾った。珍しくはなく、週末の千葉駅ではよく1円や5円のコインを拾う。最初は誰かが落したと考えていたが、最近は「捨てていったのでは?」と考えることが多くなった。1円だってお金だから・・・なんて言うつもりはない。もとより、お金に価値はないのだから。ただ切ないのは、お金を「価値ある使い方ができない」人たちがいる、ということである。お金そのものに価値はないが、その使い方は「お金を持った人間の価値」に他ならない。五十嵐家は代々曹洞宗であるが、仏教の経典「般若心経」に有名な<色即是空・空即是色>がある。自己解釈では「目に見えるものには意味はなく、見えないものにこそ永遠の価値がある」といったところか。つまり、お金は目に見えるもの、使い方は目に見えないもの、なのである。目に見えるものに囚われず、その奥底に隠れた大切なものに心を寄せて生きたいものである。
今日は、孤独な私に、ニャンコ友達ができましたぁ~(^^♪・・うれしい。。

【ポイ捨てゴザウルス・ポイ捨てるなルド現る!】

2,375日目のつぶやき
船橋市には「フナッシー」がいるが、千葉市だって「ポイ捨てゴザウルス」がいるのだ!!(今朝、ミヤマ用品店駐車場水たまり湖にて決死の撮影に成功!)先日の「ポイ捨てるなルド」とともに、町おこしの救世主になること間違いなし(+_+);
一首【空き缶に ペットボトルに ガラス瓶 売られたゴミの 命儚し】

【割れ窓理論】ごみ拾い2,374日目。13年目に突入!

【ハチ鳥の一滴】お盆休み(帰省)が終わり、6日ぶりのごみ拾い&あいさつ活動に出かけた。毎朝40分~1時間ほどの活動だが、これが健康にもいいし掃除もできる、一石2鳥で結構楽しい。
こんなポイ捨てゴミであるが、1カ所を放っておくとどんどんゴミが溜まっていき、やがては人の心まで荒廃していき、町全体が荒れていくという「割れ窓理論」というのがある。自分にできる小さな小さなことだが「継続は力なり」で13年目に突入しました。
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【只見線+鷹待山】入広瀬。田んぼを守るタイガー!

新潟に帰省してきました。故郷の駅の近くにある鷹待山が一望できる場所から、今回は列車が通る時間に合わせて撮影しました。
やっぱり、さだまさしの「案山子」の世界ですね~(^^♪

【魚沼のコシヒカリを守っていたのは・・タイガー!?】
わが故郷の自慢はお米の「コシヒカリ」ですね。
今年も、順調に穂を付け、収穫のときを待っていました。
なんと、お米を鳥から守っていたのは「虎:タイガー」でしたぁ~!!

【70年後の平和】

へたな一句です。私自身、まだ70歳はかなり先ですが・・
8月7日朝。近所のコインランドリー前の駐車場で若い男女5・6人が座り込んで宴会?(酒はなかったようだが)辺りは、吸い殻や飲み物や食べ物のゴミだらけ。明らかに未成年と思われた。いつものごみ拾いで通りかかった私は「あまり散らかさないでくれよ。コインランドリーのお客様に迷惑をかけないようにね。後で、また通るからね」とにこやかに伝えて、その場を後にした。ほぼ1時間後に通りかかったときの写真である。(思ったより、片付いていた)戦後70年・・・平和である。
【紅のつく 吸い殻ひろう 古希の夏】

【70年目の一句】8月8日。2,371日目。

IMG_0945千葉駅前56日目。土曜日は、仲間とJR千葉駅前のごみ拾い。
都会の希少な森から生まれた蝉たちだが、生きた証である子孫を遺す大仕事はできたのだろうか・・。そして、千葉駅前ロータリーのプランターのわずかな土を死に場所に選ぶのだが・・残念ながら、自らは土に還ることは叶わなかった・・。
【生れ出た 土よ恋いしや 都蝉】

【アケビ】知っていますか?

2年前の秋、魚沼の山間で撮ったものです。みなさんは、これ知っていますか~~?新潟の方はわかると思いますが、子供のころ、秋になるとよくとって食べました。甘いんですよ~~!

2,368日目【缶コーヒーと安保。母が見たら・・】

まだ開いていない缶コーヒーがスーパーの駐車場に捨ててあった。「もったいないから持って帰ろうか・・」と言いかけたが思い直して、「何か毒物でも入っているといけないから、捨てなさい」
19~24歳の青春時代を戦争にささげた父と母の時代。戦争が終わり、私が子どものころ、変質して匂いがし始めたご飯でも、水で洗って食べていた時代でした。さすがに今では私もしませんが、開けてもいない飲み物を捨てさせなければいけない「平和」といわれるこの時代はいったいなんでしょうねぇ・・そして、その平和を平和と感じられなくなった今、私たちは「安保」について、国民不在の空しい議論を聞いていなければならない・・。この子らを、2度と戦火に巻き込んではならない、と誓いながら、ポチポチとゴミを拾う毎朝です・・・

【カブト虫などの昆虫のお蔭で人間は生きていられる!?】

<今日は、お母さんも「勉強したい」と同行>2,367日目のごみ拾い
①。スーパーの駐車場に吸い殻が大量に捨ててある。タバコが1本20円とすると、吸い殻は1/4の5円くらい・・ここに20個の吸い殻があるとすると・・・100円分が捨ててある!
②カブト虫の抜け殻?があるというので、見てみると・・抜け殻ではなく、メスの成虫の死骸でした。「これが抜け殻だとすると、元は何だったの?」
※卵、幼虫、蛹(さなぎ)、成虫の関係を知らない都会の子ども達なんですネ。カブト虫などの昆虫は、幼虫の時に森の腐葉土を食べて良質のフンをします。これが森の草木が育つには栄養満点の土になる。そしてその草木が、我々人間に酸素を作ってくれるんだけどなぁ。

【夏休みの自由研究のお手伝い】よ~~~く考えよう(^^)/

2,365日目【夏休みの自由研究のお手伝い】よ~~~く考えよう(^^)/
近くの知り合いの小学生兄弟が、昨日からごみ拾い&あいさつ活動に同行し、夏休みの自由研究のテーマにしたいとのこと。「飲みかけのペットボトル⇒え~~これごみですか?」(私の解説:中身があればごみじゃないのかな?それとも、買った時から、ごみ?)、「歩道のカナブンの死骸⇒かわいそう。ごみじゃないでしょ」(解説:鳥や犬・猫などの死骸はゴミ扱いとなっているんだよ。それでは問題です。じゃまになったペットはごみでしょうか?)、「カラスの羽⇒え~~これも捨てちゃうの」、「アイスの棒⇒う~~ん、食べちゃえばごみかな・・でも木って可燃ごみ?」、「コーヒー牛乳パック⇒これは紙だから可燃ごみ!」(解説:いいえ、これは広げて回収し、リサイクルされます。お母さんに聞いてみてね)、「コンビニのレシート⇒これは紙だから可燃ごみです」(解説:そうだね。でも、メモ用紙が無ければ、この裏にだって書きたくなるときがある。そもそも、捨てるのなら、もらわなければいい)「犬のフン⇒え~~これ、拾うの~~、ごみなの~~」(解説:私は、レジ袋を裏返しにして掴んで拾いますよ。でも、これ、土の上だったら虫が分解して土に還してくれる。そしたら草花の栄養になる)、「落ち葉⇒これは拾わなくてもいいよね。だって、腐れば土になるんでしょ?(解説:そうだね、でもここはアスファルトの上、土にはなれない。それに、大人たちは落ち葉を掃き集めて、ゴミにしているよね)「道路脇の小さな花?⇒これは花が咲いているし、ごみじゃないです」(解説:でも、草取りのときは引き抜いてごみにしているよね。雑草はごみだって?)
・・・・などなど。どうやら、何が「ごみ」なんだか、頭が混乱した様子・・
さあ、ゴミを拾うことにより、考えることが大事なんだヨ(^_-)-☆

【千葉駅モラルハザード】2,364日目ごみ拾い&あいさつ活動

昨日は、週に一度のJR千葉駅前でのごみ拾い&あいさつ活動でした。
駅前の「ポイ捨てゴミ」というより「ポイ捨てモラル・マナー」は目を覆いたくなります(;;)
禁煙条例のある千葉市なのに、吸い殻だらけ、半分は残っているペットボトル、MACの食べ残し、まったく食べていないおにぎり、吐き捨てられたガム、雨が上がればまだ使える傘の山、挙句の1円玉や5円玉まで・・!絶句!!

【地域の誇り】大人も見習わなければ・・(^^)/

松ケ丘中が県総体(総合体育大会)で大活躍です。目指せ関東大会突破!目指せ全国!目指せオリンピック!!(元PTA会長としては、ほんとに・・・嬉しい(;;)(^^)/・・・ありがとう、子ども達、そして指導していただいている教職員の皆様。地域の皆様、感謝です。

【暑い!これ飲みたかった!】<2,360日目。ごみ拾い&あいさつ活動>

いや~~缶ビールのつぶれた空き缶を見て思わず・・「オレが飲みたかったぁ~~!」
今朝拾ったごみを改めて広げてみました(毎日こんなもんですが)・・・私は以下の3つの社会問題があると考えています。
1.自分にとって必要が無くなった時点が「ごみ」に変わるとき。(現実は、再利用、再使用を考えると「必要性」は個人の生活習慣やその「物」の特性によって異なります。【これは、地球環境問題です】
2.その「ごみ」をルールやマナーに従って所定の場所に集めるか、ポイ捨てするかは、道徳、倫理の問題です。【これは人生観、マナー、美観、犯罪心理など、人間性の問題です】
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誰かがポイ捨てしようが、それを別の誰かが拾って正しく処理さえされれば1.の環境問題としては問題ないことになります。
逆に、環境問題に関心などなくても、正しい場所にさえ捨てれば、2.のマナー、美観などの問題はないことになります。
そして、3番目があるのですが・・
3.写真のように自分にとって不要な物をどこにでもポイ捨てする人間は、そのような親に育てられた結果であろうし、そのような子どもを育てることになるだろう、ということです。それが幸せな家庭か否かは想像が容易ですが、悪循環を断ち切れるかどうかは「親や社会のせいにしないで自律する」ことが必要でしょう。
by いが

バナナと安保(集団的自衛権)

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 戦後の高度成長の真っただ中の昭和34年1月、新潟の山間にある寒村の農家で生まれた私です。(東京タワー完成が昭和33年12月。東京オリンピックが昭和39年)
父は満州に兵役動員されたということでしたが、決して多くは語ろうとしませんでした。片田舎の私の村は幸いにして直接の空襲被害などはありませんでしたが、戦火で焼けた町での暮らしぶりは、衣食住もままならず、強盗、詐取、闇市などが横行し、秩序を守ることすらできていなかったのです。
 そんな中、もともと自給自足に近い生活を送っていた農家に生まれた私でしたが、自家では作れないので買わなければならず(当時はまだ、お米と商品が交換できた時代でしたが)、世の中で一番贅沢でうまいと思っていた食べ物が「バナナ」でした。台湾産が多かったと思います。父がバイクに乗って月に一度程度買い出しに行くのですが、月刊の漫画本と、お土産に買ってくるバナナなどが、待ち遠しくて楽しみで・・・(^^)/
母が、自分が食べるよりも、子ども達に食べさせることを優先して分けてくれていたことが、切ない思いと共に蘇ります。
 そんなバナナと私の付き合いなのですが、高度成長を遂げた現代では食べようと思えば何でも手に入る時代になりました。
 今朝、半分食べかけのバナナが、道端で日に焼けて真っ黒になっているのを拾いました。バナナに限らず、飲みかけの缶飲料やペットボトル、時には手つかずのおにぎりなどが当たり前にのように捨てられています。
 300万人を超える犠牲者を出し、敗戦を経験した日本。敗戦から70年が経ち、ほとんどが戦争を知らない世代になってしまったそんな私たちが今、考えなければならない「平和」とはなんでしょう?
憲法9条にある、不戦の誓いの本当の意味はなんでしょう?
 明治維新から大正を経て、太平洋戦争に突入した当時の日本は、「民主主義」国家の形をまねた「軍国主義」国家でした。
今国会で審議されている安保関連法案が、やがて治安維持法のような悪法を生み出すことはないのでしょうか?
ただ一つだけ戦前と明らかに違うことがあります。
それは、現在の政治は、国民の自由意思で選んだものであり、その政治が管制する自衛隊であるということです。つまり、(まだ)国民の意思で動かせる政治や自衛隊であるということです。自衛隊は軍隊ではないのです。
 私たちは、もっと日本の歴史、先祖の歴史、自分の生い立ちや命、暮らし、政治に関心を持たなければなりません。現在が「平和」と言うのならば、それは何の苦労もなく手に入れたものではなく、先達が、明治維新を経て、大正・昭和初期の軍国主義と敗戦を経て、血の滲む歴史の中で作り上げてきた「平和」であると認識しなければなりません。
 バナナが一番贅沢でご馳走だったあのころが、実は一番「平和」だったのかもしれません。

【愛するとは】新島「塩花」しよばな

以前、新島村の出川長芳村長(当時)のお手紙を地元の居酒屋「かみやかた」(マスターのお母さんが新島出身です)で拝見したことがあります。その中に「塩花(しよばな)」という新島村の風習が出てきます。
家族などの愛する人との別れ、漁や航海の安全、自然の恵みへの感謝・・・愛する人が船で発った後、涙の乾かぬうちに波打ち際に出て、寄せた波が引いた直後、まだ水泡が残るうちにその砂を握ってそのまま外気に晒さずに家に持ち帰り、神棚や「かみやかた」(台所)のかまどなどに祀る、これを「塩花」しよばな、と呼んできたそうです。
小さな島での暮らし。男は家督を継ぐ長男を残し、女は長男の嫁になるものを残し、ほとんどが島を出るという。そんな子どもを抱える親たちは、まだ十代の我が子が船に乗って出てゆくその日を、どんな気持ちで見送ったのでしょうか。まずは、乗り込んだ船が無事に目的地に着きますように。今夜から食事をちゃんと食べ、ちゃんと屋根の下で寝床に入って眠れますように。早く学校や職場に慣れますように。病気をせず、事故や事件にあわず、元気に暮らせますように。たまには元気な顔を見せてくれますように・・・子を想う親心とは、どこにあってもそうではないでしょうか。そんな我が子の乗った船が水平線の彼方に見えなくなるまで見送り、涙をぬぐう間もなく、波打ち際で寄せた波の返り際に泡ごと砂を掴んで大事に持ち帰り、「塩花」として神棚に祀り、手を合わせて祈る。
また、日々の暮らしにあっては、台所のかまどに「塩花」を祀り、今日の食に感謝し、海や山、自然の恵みに感謝し、豊漁を祈り、漁に出た男衆の無事を祈る。
自然の恵みに感謝しながら寄り添って島に暮らす人々と、かけがえのない素朴な愛情。私はこの手紙を何度も読み返し、心の奥深くから湧き上がる感情が、涙となるのを禁じ得ませんでした。

ごみが夏休みの研究課題!

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今朝、ごみを拾いながら歩いていると、同じようにごみを拾いながら歩いている親子(母子)に会いました。
聞けば、「ごみ」が夏休みの研究課題だとか。
私は、今日自分の拾ってきた袋から様々なゴミを地面に広げて見せました。紙くず、吸い殻、空き缶、お菓子の箱、アイスクリームの容器、乾電池、紙マスク、ペットボトルキャップ、ガラス片・・・
私は空き缶を指して、「この空き缶は資源ごみといって、また飲み物の缶に生まれ変わります。さて問題です。すると空き缶はごみでしょうか?ごみは、いつからごみでしょうか?」
答えに窮する少年に「もしかすると、ごみ、なんて、ないのかもしれないねぇ」
by いが

【ペットボトルキャップの土壇場の逃げ場】

こんな光景(ごみ置き場にキャップの入れ物が設置してある)を見ると嬉しくなりますね。8年前から町に呼びかけ続けています。「キャップはリサイクルできます。ごみとして燃やさないでください。子ども達の未来につなぐ環境を考えよう」・・(ワクチン寄付ではありません。エコ基金として回収に協力してくれている松ケ丘商栄会で現金として積み立てています)・・私の自治会では最低でも5カ所、その他の自治会でも、写真のようにいくつか自主的に設置してくれるところが出てきました。・・ハチドリの一滴ですね(^^)/

★おとり捜査官急増中★【オレオレ詐欺だまされたふり捜査官】

 

7月15日、千葉中央署の最初の「出張指定式」に参加してきました。参加者はこの地域から(まったく普通のおじさん、おばさんの希望者が)30人弱。文字通り、だまされたふり(おとり捜査のようなもの)をして、犯人検挙につなげようという取り組みですが、第1の目的は、あくまでも被害を減らすこと。感想としては、このような(おとり)捜査官がどんどんどん増えれば確かに被害は減るだろう、と思いました。中央署では、今後このような「出張指定式」をどんどん行うということでした。詐欺グループは嘘に嘘の屋上屋を重ねるため、3人、4人、5人も出演者を揃えての大芝居です。その挙句が、収入はゼロ、逆に自分たちがだまされて逮捕されるかもしれない髙いリスクを背負うことになる訳です。今後は「割に合わない」犯罪になることでしょう。ガンバレおとり捜査官。

子どもたちの未来へつなぐ