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【原風景。藁プール。山ご飯。発動機!】この子たちはよく手伝ってくれる。なぜか「ほっ」とするものがある。
私が子どもの頃は農作業を手伝えと言われると、いいも悪いもなく(有無を言えず)、だがそれほど嫌な気もせず、山に遊びに行く気分で手伝ったものだ。稲刈りをしたり、稲を運んだり干したり。脱穀し終わった藁の「藁プール」は最高の運動場で、トランポリンかフカフカのベッドのようだった。動力源の「発動機」のハンドルを使っての始動は、最初は怖くて子どもには勇気のいることだったが、できるようになると大人になった気分がしたものだ。
ギュウギュウに圧縮されたご飯の弁当には卵焼きと梅干。それで十分で、父母と食べる山ご飯は最高にうまかった。
子どもたちに「里山とそこに暮らす人々の原風景」を伝え残したいものだ・・・。
【これが自分で植えたお米だぁ!】
【これが自分で植えたお米だぁ!】今日は籾摺り!!
春先から、秋まで。田おこし、代かき、田植え、草取り、稲刈り、乾燥、脱穀、籾摺り、精米。
お米作りにはこの他に、土つくり、苗づくり、施肥、畦塗、水の管理、防虫・防鳥、病害防除、温度管理、台風対策など、山ほどの作業があります。
普段何気なく食べているお米。
農家の方々の苦労がわかると、ご飯の味もきっと変わりますよ(^^♪
【熱狂!(^^♪】
【SDGs】
【SDGs】「持続可能な開発目標」。最近よく聞く。「開発目標」だから企業と政治の問題で自分には関係ない・・・と考える人も多いだろう。だがそれは大きな間違い。開発・生産・製造・消費はどれも繋がっていて一体のもの。「消費」がなければ「生産・製造」もないからだ。私たち消費者こそが、一番に考えなければならないコト。私たちは「勘違い」してはならない。
<国連開発計画(UNDP)駐日代表事務所:持続可能な開発目標(SDGs)、通称「グローバル・ゴールズ」は、貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指す普遍的な行動を呼びかけています>
【どんな時も・・・その時代なりの秋】
【どんな時も・・・その時代なりの秋】「私たちは、歴史という駅伝のたすきをつなぐランナー」
今年も実りの秋が来てくれたことに感謝です(^^♪
【あの時の虫かご・・・】
【あの時の虫かご・・・】リモートワークの合間に週一回の出勤。ビルの谷間にある公園に誰が置き忘れたか虫かごが一つ・・・。暑かった夏休みも終わり、学校も始まっている。
そういえば子どもの頃、早朝からカブト虫やクワガタ虫を探したあの夏休み・・・。鎮守様の夏祭りで、はやる気持ちで駆け上がった赤土の坂道。
あのとき抱えていた虫かごや捕虫アミ、被っていた麦わら帽子は、一体どこに行ったのか・・・。
【一隅を照らす(2)】
【一粒のお米】
【一粒のお米】日曜の稲刈り。雨が心配されたが、なんとか終えることができた。たくさんの子どもたちが来てくれた。子どもの頃、食べ終わった茶碗にご飯粒が残っていると、叱られたものだった。。。。時代は変わり、今はどうだろうか・・・飽食の時代と言われ、物があり余る時代。
しかし今日、田んぼで、落ちた稲穂を拾い集める子どもたちを見て、少しホットした。
間違いのないのは、今の自分たちがあるのは「日本の農業」のおかげなのだ・・・。
【ザクザク!、キュッと結んで、頭をポンポン、天日干し(^^♪】
【ザクザク!、キュッと結んで、頭をポンポン、天日干し(^^♪】趣味と教育を兼ねてやっているからこそだが、今時の稲作では手作業は珍しいだろう。ザク、ザクっと稲刈り鎌で刈っては、束にして結わえ(昔のように藁ではない)、頭をポンポンと叩いて揃える。最後は一束づつオダにかけて、完了!!
稲束の頭をポンポンとするたびに、子どもの頃お手伝いをすると母が「いい子だいい子だ」といって頭をポンポンとなでてくれたのを思い出した。
父母はもちろん、ご先祖縁者様、農家だった我が家。今の日本は様変わりしてしまったが、このお米のおかげで今があります。感謝・・・。
【一隅を照らす】
【男と女の間には(^^♪】
【飛んでは休み、休んでは飛ぶ】
【稲穂に感謝】
【稲刈り、準備完了!】
【稲刈り、準備完了!】心配されたコロナによる制限も、なんとかクリアし次の日曜には稲刈り実施だ。また田植えのように親子連れで来てくれれば嬉しいのだが。
実りの秋は、確実に来ている!!
【ハート、雪だるま(^^♪】
【コロナ禍、2度目の秋。実りの秋・・・】
【コロナ禍、2度目の秋。実りの秋・・・】黄金色に色づいてきた。2週間後には稲刈りだ。しかし、緊急事態の今、親子や子どもたちの稲刈りは難しそうだ・・・。
この感染症禍で、古き良き日本の伝統、文化まで喪失することにならぬよう、心から願う。
【空、あります?】
【空、あります?】
8月15日も過ぎ、全国に深刻な豪雨被害をもたらした夏の長雨も関東では一段落した。
雨が上がり、久しぶりにごみ拾いセットを持って歩いていると何かのプレートが落ちていた。見てみると・・・「空あります」と書いてある。どこかのアパートの空室広告だろう。
ふと思った。最近、暑い暑いと真夏の日差しを恨めしく思っていたが、それでも、空(そら)があるではないか。
76年前の8月6日。広島市は真夏の青空が、一瞬にして黒い雲に覆われ、やがて黒い雨が降り注いだ。放射能の雨だ・・・。
あれから76年が経ち、日本人(世界中)がそのことを忘れかけているのか。人間たちは戦争だけでなく、「平和なはずの科学」によって「空を壊し続けている」。
今、自分の問題として、子どもたちの未来のために、考え、行動したい。
【想像力を働かせ、思いを寄せる】
【想像力を働かせ、思いを寄せる】「思いやり」と言われますが、人間、自分がその立場にならなければ解らないものです。時間に追われ、お金に追われ、(自分たちで招いた)様々な事件や災害に追われ・・・現代人は、更にさらに、「思いやり」から遠ざかろうとしています。
今朝、バスを降り駅に向かう私の前を白杖をついた中年の男性(おそらく通勤途中)が慣れた様子で歩いていた。千葉駅は改札のある3階の高さまでエスカレータなどで上がらなければならない。エスカレータの手前で何気なく追い越そうとしたが、はっとしてそれを止めた。私が追い越しざま、もし白杖にでも触れ、男性の五感による判断に多少なりの影響でもあったらいけない・・・。目が見える人とさほど違わない歩きだが、私はその男性の後を歩いた。男性は白杖でエスカレータ乗り口左側の足元の壁を巧みに叩いて、スムーズに歩を進めてステップに乗り込んだ。今度は、どうやって降りるタイミングを感じ取るのか、と見ていたら、やはり白杖を使い、前の段との段差が次第に少なくなる(最後は段差がなくなり平らになる)ところを感じとっているらしい。まるで完全に見えているようにエスカレーターから3階のフロアーにスムーズに一歩を踏み出し、改札に向かって歩き始めた。
私がもし目が見えなかったら・・・と、途中で少し目を閉じてみたが、エスカレータでは手すりがなければ立ってさえいられないほど・・・ましてや、そのまま街を歩くなど・・・。
私は自分のことで精いっぱいで、他のことなどなかなか考えられない。しかし、このようにふとしたことで、自分の視野の狭さが情けなくなるのです(;;)
【生きるのが精いっぱい、社会が悪い、邪魔・・・だから、ポイ!】
【生きるのが精いっぱい、社会が悪い、邪魔・・・だから、ポイ!】これらはやがて海へ・・・そして・・・
①橋のガード下で食事をしてポイ!土手を散歩しながらポイ!橋の上からポイ!。信号待ちでポイ!。風に乗って川面に落ちるポリ袋。側溝から川に流れ込むペットボトル。
②私はそこらにポイはしない。定められた資源ごみの回収日に、定められた方法で処分する・・・が・・・
①と②に大きな違いはない。罪は同じだ。
人間は常識やマナー、道徳に頼って暮らし、それらが腐って手に負えなくなると「ルールや法律、罰」を作り出す。そしてそれを盾に(人間だけの)正義を語る。まさに理屈(頭)の世界である。そしてそれは「矛盾」(=人間の身勝手)だらけだ。
理屈には内包し得ないものがある。宇宙、大自然から授かった自他の命への敬意である。
無宗教の私が長年(19年目)こんなことをしながらたどり着いたことを、誤解を恐れずに言ってみたい。
理屈は人間が人間に都合の良いように作り出したもの。それにすがって生きていては、生物として自身の命を生きていないことと同じ。
頭ではなく、生き物としての肚(はら)で生きてみたいものだ。土台に肚(はら)があり、その上に「頭」がある。
・・・人間が生物の一種類として宇宙に永く存在し続けることの、絶対条件だと思うが・・・
核戦争については、人間の愚かさが招いたということはだれも疑わない。なにを意味不明な・・・と思われる方が多いだろうが、今世界を襲っているウィルスの脅威も、実は根っこは同じではないだろうか。
さて、日本人にとって何度目かの秋が来る。そして、人類にあと何度来るかは、人間一人ひとりの「肚」(はら)にかかっている・・・と思う。