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【ズッシリと重い空き缶が4つ】
【ズッシリと重い空き缶が4つ】小学校のプール脇の土手に袋に入って捨てられていた。どれも雨水を吸ったたばこの吸い殻がギッシリと詰め込まれていた。持ち帰ったが、このまま知らんふりして資源ごみとしては出せない。空き缶を切り、吸殻を取り出して分別した。
人は「自分のことだけを考える」=「自己本位」「自己中心」が根本にあることは承知している。さらに「楽をしたい、面倒なことはしたくない」「いい思いをしたい」「幸せになりたい」ものである。
・・・が、「幸せ」とは決して「一人だけでなれるもの」ではない。他を愛し、その愛と共に享受するものこそが「幸せ、仕合わせ」なのだろう。
ルールなき自由が、いかに「危険で不自由で持続性のない」ものか、少し考えれば誰でもわかることなのだが・・・。
【大人になると見えなくなる?】
【日本の桜!強いぞ!!】
【日本の桜!強いぞ!!】昨日は、川土手に植えた桜が2年前の台風で倒れたものを、1本づつ丁寧に起こした。どれも倒れたまま春には花を咲かせ、今は緑の葉を茂らせていた。強いぞ、日本の桜は!!
【川の環境保全は、ごみ拾いや草刈りだけではない】
今日は、川の遊歩道にある花壇の花植え。
!!それにしても、花壇に花を植えるのにユンボとは!?(^^♪(^^)/
【残っていますか?子どものこころ】
【残っていますか?子どものこころ】今朝、いつものように「ごみ拾い&挨拶」をしながら歩いていると、小学校の正門前で子どもたちが3~4人集まって何かをのぞき込んでいる。「おはよう!何を見てるんだい?」。すると虫かごを手にした女の子が「アゲハの幼虫です(^_-)-☆」と元気と興味をほとばしらせながら応えてくれた。
私は嬉しくなった(^^♪
大人から見れば「気持ち悪いイモムシ」なんだろうなぁ。こんなことを云う私ですら、今は気持ちのいいものではない。が、子どものころは昆虫やその幼虫、生き物は大好きであった。どこに捨てて来てしまったのだろう、子どもの目・・・
虫たちだって、葉や落ち葉を食べ、糞をし、栄養豊富な土を作っている。そしてその土で植物が育つ。世の中に、不要なものはない、という。
【自然の恵みに感謝】
【故郷の春が届きました(^^♪】
【鯉のぼり】次第に消えゆく景色
【揃える・・・】
【揃える・・・】集会所のスリッパを揃えた。上履きと外履きの場所を分けてあるのだが、なかなか上手くいかない。
もう20年になるか・・・自宅玄関の靴を黙って揃えるようになってから、自分自身も変わった。
みんなの心が、揃ってくれますように・・・
【乳くれぇ~って泣いていた、らしい(^^;】
【田植え】五月晴れ!
【田植え】五月晴れ!子どもたちと田植え!!最高~~~!!!!
【ありがとう、が言えない大人】
【生きる力って?】
【生きる力って?】大したことではない。しかし、毎朝のように声をかけてくれる近所の方、道でいつもすれ違う近隣町内の方や通学の男子高校生、自転車で追い抜き様に挨拶してくれる女子高生、グランドで大きな声で挨拶してくれる朝練の中学生たち。
私は、生きているのだ(^^♪
【ドクダミと夏休み、と、山菜とアイスクリーム】
【街のひと隅で】
【うわぁ!バルタン星人だぁ!】
【うわぁ!バルタン星人だぁ!】代かき作業中に襲来(^^♪
【心の目では見えないもの。外国にはない日本人の「肚(はら)」とは】
【心の目では見えないもの。外国にはない日本人の「肚(はら)」とは】
「見る」といえば「目で見る」ということになるが、人間の「見る」は「見えたもの」が「何で」それについて「何を考えるか」という脳の働きが伴っている。さらに人間が「考える」ときは「知識」が必要になるが、それは「学習」によって養われる。つまり「考える」ということが「心の目で見る」ということで、それは「学習による知識」が元になっているということになる。
学校の前に使い終わった紙おむつが何度か捨てられていた。これは当然、乳幼児を抱えた親の仕業だ。
道端に捨てられた傘。雨が上がり、壊れていれば(いなくても)、持ち歩くのが面倒になるのだろう。
これを捨てる人たちは、普段は何を見て、考え、行動しているのか。
心の目で見ることと、肚(はら)で見ることとは大きく違う。心の目は生まれた後の学習によって脳に蓄積されるため人によって違うが、肚(はら)は今の自分だけではなく、日本人の血(古来からの暮らしや伝統文化)や、先祖からの血筋や因縁によって背負わされたもので、「心」によって覆い隠されている。
さて、物事を「肚(はら)」で見る、といっても一体どうやるのか。誰が教えてくれるわけでもないが、「自分が生まれてきたことも含め、自分に関わってくるすべての物事(偶然と思えることでさえ)を他の責めにしない、他と比べない」ということだと考える。「全ては己が招いたことで偶然ではない」と、当に「肚(はら)をくくる」ことができるかどうか、ということだ。
「肚が立つ」「腹を切る」「肚をくくる」「肚におちる」「肚を決める」「肚をさぐる」「肚の虫」などと云う。
私は「思想家」でも「右翼」でも「宗教家」でもない、が、考えてみれば「日本人」には昔から「頭=心」より奥底に「肚(はら」」があるのだと思う。
今の日本人は、外国色のついた眼鏡(=心の目)を捨て、もともと日本人に備わった「肚(はら)」で見ることをすべきではないだろうか。
【今年は、やるぞ!】
【今年は、やるぞ!】去年は、コロナの影響で田んぼの維持がやっと・・・ついに米作りができなかった。
今年はやるぞ!
貧乏NPO法人(皆ボランティア)は機械を買えないので、様々な繋がりで機械を調達している(幸運にもいつもなんとかなる)。そして今年は、耕運機を譲っていただいた。
都会の子供たち、大人たちに、なんとか米づくりの大切さを知ってもらいたいものです(^_-)-☆
【ちょっと散歩に・・・で、イノシシ!】
【ちょっと散歩に・・・で、イノシシ!】桜も終わり、天気のいい日曜。自宅から車で30分ほど。これを見る限り、野生動物と人間が共生している・・・ように見える・・・