【「ありがとう」が風に乗って(^^♪】

【「ありがとう」が風に乗って(^^♪】数日前の朝、いつものように歩いているとファミマの駐車場あたりで車道側から優しく丁寧な女性の声が聞こえてきた。「○○でございます。いつもありがとうございます。お気をつけて・・・」路線バスの車内アナウンスだった。
昔はバスの運転手やトラック、建設機器などの運転は男、と相場が決まっていた。ところが最近は「男女機会均等」で女性運転手も珍しくなくなった。
男だから、女だから、とことさらに言うつもりはない。が、気遣いと思いやりのある言葉が、初夏の風に乗って街にこぼれ出す朝は、なにか清々しい気分になるものだなぁ(^^♪

【ズッシリと重い空き缶が4つ】

【ズッシリと重い空き缶が4つ】小学校のプール脇の土手に袋に入って捨てられていた。どれも雨水を吸ったたばこの吸い殻がギッシリと詰め込まれていた。持ち帰ったが、このまま知らんふりして資源ごみとしては出せない。空き缶を切り、吸殻を取り出して分別した。
人は「自分のことだけを考える」=「自己本位」「自己中心」が根本にあることは承知している。さらに「楽をしたい、面倒なことはしたくない」「いい思いをしたい」「幸せになりたい」ものである。
・・・が、「幸せ」とは決して「一人だけでなれるもの」ではない。他を愛し、その愛と共に享受するものこそが「幸せ、仕合わせ」なのだろう。
ルールなき自由が、いかに「危険で不自由で持続性のない」ものか、少し考えれば誰でもわかることなのだが・・・。

【大人になると見えなくなる?】


いつものようにごみを拾いながら歩いていると、小学2~3年くらいの男の子が先を歩いていたが、私に気づいて、落ちていた小さなお菓子の包み紙を指さして立ち止まった。私に「拾ってくれ」と言いたいのだろうが、無言であった。時々、大人でもこういう行動をする人がいる。まあ・・・それはさておいて・・・私はそのごみを拾いながら、その子にこう言った。「こんな小さなごみがよく見えたね~ありがとう。不思議だね~。大人になると、ごみは見えなくなるみたいなんだ」
男の子は、きょとんとした顔で私を見つめていた・・・。

【日本の桜!強いぞ!!】

【日本の桜!強いぞ!!】昨日は、川土手に植えた桜が2年前の台風で倒れたものを、1本づつ丁寧に起こした。どれも倒れたまま春には花を咲かせ、今は緑の葉を茂らせていた。強いぞ、日本の桜は!!

【残っていますか?子どものこころ】

【残っていますか?子どものこころ】今朝、いつものように「ごみ拾い&挨拶」をしながら歩いていると、小学校の正門前で子どもたちが3~4人集まって何かをのぞき込んでいる。「おはよう!何を見てるんだい?」。すると虫かごを手にした女の子が「アゲハの幼虫です(^_-)-☆」と元気と興味をほとばしらせながら応えてくれた。
私は嬉しくなった(^^♪
大人から見れば「気持ち悪いイモムシ」なんだろうなぁ。こんなことを云う私ですら、今は気持ちのいいものではない。が、子どものころは昆虫やその幼虫、生き物は大好きであった。どこに捨てて来てしまったのだろう、子どもの目・・・
虫たちだって、葉や落ち葉を食べ、糞をし、栄養豊富な土を作っている。そしてその土で植物が育つ。世の中に、不要なものはない、という。
私たち大人は、いつ、それらを興味を持って見ていた子どもの目を忘れ、「気持ちの悪い邪魔者」として見るようになったのだろうか・・・。

【自然の恵みに感謝】

【自然の恵みに感謝】季節の野菜や果物を、季節に関係なく、好きなだけ食べられ、余れば捨てる飽食の時代。
故郷から送っていただいた春の山菜を、故郷の春の風を感じながら、しみじみと味わってみた。
木の芽、こごみ、うど、ふきのとう・・・自然の恵みに感謝である。いつの時代も、これを忘れてはならないと思う・・・。
ポン酢、マヨネーズがピッタリ!
捨てる部分はない。うどの皮のキンピラは妻の大好物だ(^^♪

【故郷の春が届きました(^^♪】

【故郷の春が届きました(^^♪】今年も故郷の親戚から春が届きました。残雪があちこちに白く残り、木々の若緑が芽吹くころ・・・。木の芽(アケビの芽)、うど、こごみ、ふきのとう。いつもの地元紙(新潟日報)で丁寧に包んでありました。ふるさとの山の風を感じる、うれしいひと時・・・。ありがとうございます。今晩の食卓が楽しみです(^_-)-☆

【鯉のぼり】次第に消えゆく景色

【鯉のぼり】次第に消えゆく景色・・・。ふるさとの5月の田園風景には数メートルもある大きな鯉のぼりが春の南風に乗って悠々と泳いでいる姿が付きものだった。近年の住宅事情や薄れゆく文化、生活様式の欧米化に伴い、子どもへの愛情の形も変化している。歳を重ねるごとに、それらが寂しく感じてしまうのは、どうしたもんか・・・。日の丸を掲げ、鯉のぼりを揚げる。自分自身も忘れているのだから、他を責めることはできない。

【揃える・・・】

【揃える・・・】集会所のスリッパを揃えた。上履きと外履きの場所を分けてあるのだが、なかなか上手くいかない。
もう20年になるか・・・自宅玄関の靴を黙って揃えるようになってから、自分自身も変わった。
みんなの心が、揃ってくれますように・・・

【乳くれぇ~って泣いていた、らしい(^^;】

【乳くれぇ~って泣いていた、らしい(^^;】子どもを背負ってまで田植えを手伝ってくれたボランティアの親子に感謝。日本の古き良き時代・・・私も子どものころ、田んぼで仕事をする父母を見ながら、あぜ道で「母ちゃん、乳くれ~」って泣いていた、ってよく言われたもんだなぁ(^^;

【ありがとう、が言えない大人】

【ありがとう、が言えない大人】ある朝、いつものようにごみを拾いながら歩いていると、黄色い帽子の小学校低学年くらいの女の子が立ち止まって、「いつもごみを拾ってくれてありがとうございます」。・・・大人でも(大人だから?)、なかなか言えない言葉だ。この子の家では、何か親子で会話があったのかもしれない・・・気を付けて行ってらっしゃい。今日もいい日である(^^♪

【生きる力って?】

【生きる力って?】大したことではない。しかし、毎朝のように声をかけてくれる近所の方、道でいつもすれ違う近隣町内の方や通学の男子高校生、自転車で追い抜き様に挨拶してくれる女子高生、グランドで大きな声で挨拶してくれる朝練の中学生たち。
私は、生きているのだ(^^♪

【ドクダミと夏休み、と、山菜とアイスクリーム】

【ドクダミと夏休み、と、山菜とアイスクリーム】庭のドクダミが伸び放題!あの独特の匂いのなかで草取りをしていると、ふと小学校の頃の夏休みを思い出した。
ドクダミやヨモギを採って、夏休み明けに学校に持って行ったっけ。
春は、木の芽やゼンマイ、ワラビ、コゴミ、ウドなどの山菜を採っては、少し離れた商店まで歩いて行って買い取ってもらい、そのお金でアイスを買って食べたもんだったなぁ(^^♪

【街のひと隅で】

【街のひと隅で】毎朝のように会うこの方は、お隣の町内会。1日1万歩は歩くという。ただ歩くだけではない。町のあちこちのごみ置き場を片づけたり、ペットボトルキャップ入れの袋を見てくれたり、道端の草取りをしてくれたり。
気さくに話し相手になってくれるが、なんか周囲がポッと明るく照らされるなぁ~(^^♪
感謝である。

【心の目では見えないもの。外国にはない日本人の「肚(はら)」とは】

【心の目では見えないもの。外国にはない日本人の「肚(はら)」とは】
 「見る」といえば「目で見る」ということになるが、人間の「見る」は「見えたもの」が「何で」それについて「何を考えるか」という脳の働きが伴っている。さらに人間が「考える」ときは「知識」が必要になるが、それは「学習」によって養われる。つまり「考える」ということが「心の目で見る」ということで、それは「学習による知識」が元になっているということになる。
 学校の前に使い終わった紙おむつが何度か捨てられていた。これは当然、乳幼児を抱えた親の仕業だ。
道端に捨てられた傘。雨が上がり、壊れていれば(いなくても)、持ち歩くのが面倒になるのだろう。
 これを捨てる人たちは、普段は何を見て、考え、行動しているのか。
心の目で見ることと、肚(はら)で見ることとは大きく違う。心の目は生まれた後の学習によって脳に蓄積されるため人によって違うが、肚(はら)は今の自分だけではなく、日本人の血(古来からの暮らしや伝統文化)や、先祖からの血筋や因縁によって背負わされたもので、「心」によって覆い隠されている。
さて、物事を「肚(はら)」で見る、といっても一体どうやるのか。誰が教えてくれるわけでもないが、「自分が生まれてきたことも含め、自分に関わってくるすべての物事(偶然と思えることでさえ)を他の責めにしない、他と比べない」ということだと考える。「全ては己が招いたことで偶然ではない」と、当に「肚(はら)をくくる」ことができるかどうか、ということだ。
「肚が立つ」「腹を切る」「肚をくくる」「肚におちる」「肚を決める」「肚をさぐる」「肚の虫」などと云う。
 私は「思想家」でも「右翼」でも「宗教家」でもない、が、考えてみれば「日本人」には昔から「頭=心」より奥底に「肚(はら」」があるのだと思う。
今の日本人は、外国色のついた眼鏡(=心の目)を捨て、もともと日本人に備わった「肚(はら)」で見ることをすべきではないだろうか。

【今年は、やるぞ!】

【今年は、やるぞ!】去年は、コロナの影響で田んぼの維持がやっと・・・ついに米作りができなかった。
今年はやるぞ!
貧乏NPO法人(皆ボランティア)は機械を買えないので、様々な繋がりで機械を調達している(幸運にもいつもなんとかなる)。そして今年は、耕運機を譲っていただいた。
都会の子供たち、大人たちに、なんとか米づくりの大切さを知ってもらいたいものです(^_-)-☆

子どもたちの未来へつなぐ